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2020年8月の記事一覧

ここで暮らしていくと決めた時、家族との時間は大切にしなきゃって誓った。喜怒哀楽、その時の家族の表情はあるだろうけど、どれも振り返れば過去の思い出として残っていく。消えたりなんかしないんだ。守られる立場から守る立場になる。時代は変わりゆくものだから。

体裁に囚われる必要なんかなくて、思うままを言葉にして残していけばいい。それが日記だろうがエッセイだろうが詩だろうが、自分が作ったものが形になることに意味がある。何もせずに自分を囚われの身にしていたって時は過ぎていく。今の世の中ってそんなもんよ。正しいと思うならそれを続ければいい。

来たる現実なんぞ気にしていたら、自分のことすらままならなくなる。今はただ、自分にできる最大限の配慮をした上で動けばいい。もちろんTPOを弁えた最適な手段を選び続けることが重要。世の中の動きに敏感すぎるのもどうかと思うから、スマホやテレビから距離を置いて深呼吸をしてみる。

楽しみは1人で味わいたい、最近までそう思っていた。でもある時に誰かと一緒だったらもっと楽しいんだろうなと考える瞬間があった。自分だけじゃなくて、彼彼女の楽しみを共有してみたいと思うようになって。喜んでいる貴方が見たいだけなのかも。

山間の小さなカフェ。都会の喧騒から離れ、人も少なくなった土地で古本も扱う。始まって数ヶ月だがコロナ禍の中でも知る人は足を運び、ひと時の癒しを手にできる。地元食材を使ったランチは人気、その他ドリンクメニューも種類が豊富。クラシックの音色も添えて、小豆書房。

普段なら秋の装いへと意識が変わりつつあるこの時期。あれ?夏真っ盛りなんだが。吹く風は肌を刺し、照る日は体力をも奪っていく。セミの声も聴こえず、天敵の蚊も姿を現さず。ここは日本ではなかったのか、気象に関する懸念が広がるばかり。自然には勝てないとはこの事を言うのだろう。

自分の人生は最終的には自分で決めていくものだけれど、その背景には常に誰かが居てその誰かによって創られている部分もあるんだと思う。例えば「運命の出会い」がそう。ふとした時に訪れる偶然の機会はターニングポイントになることが多い。そこからもそれまでも自分づくりがどこまでできるか。

本筋はすぐ目の前にあるのに、何かと理由をつけて寄り道をしてしまうのが人間の悪い癖。環境が変わることに対する不安や焦りがあるのは分かりきってるけど、何もしなければ動きも無いわけで。いっそのこと寄り道ができないように、少しずつ自分を律していくとランウェイのようにまっすぐ歩けるのかな。

外に出るだけで、ただ立っているだけで暑い。いくらヘアスタイルをいじったところで汗で崩れてしまう始末。男でも日傘が必要なんじゃないかと考えてしまうくらい。実際穴場の観光地に行ったらまあまあな人が傘をさしていると。帽子が極端に似合わない自分にとっては有難いアイテムかもしれない。

誰かしらの繋がりがあるって凄く心強い。最初は1人だったけど外に出る機会を活かしてその場所のことも知れるというまさに一石二鳥。繋がりのネットワークが広いほど足を運びやすくなるし、その土地その土地を更に知ることができる。早いとこコロナが収まってくれれば気軽に動けるのにな。

休みもなく働いていると、お客のために働いているのか自分のために働いているのか分からなくなる。本来は前者でなければいけないのだが、段々と考える気力すら失われてきてロボットのような動きになっているような気がする。でも、たまには自分のことも考えられる時間がないと世の中渡っていけない。

このご時世だし仕方なく遠距離通話に。どうせならと思って、配信アプリで限定枠を設けて彼女と歌い合うことに。カラオケもろくに行けてなかったから地味に緊張していた。歌声を聴いて思った、自分はこの声に惹かれたんだなと。彼女のこともそれ以上に好きなのは間違いないけれど。ある夜の出来事。

音はただ鳴るだけじゃない。周りに響くという利点もある。耳が備わっている我々はありがたいことにその恩恵を大きく受けることができている。喜怒哀楽を表現したり感じたりすることができる音の素晴らしさは無限大だ。世界に溢れる知らない音を巡ってみたい。何も聞こえない空間も逆に面白いかも。