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脱学校的人間(新編集版)〈67〉

 誰もがだいたい同じように、しかも「なるべく他人と違わないように」生きている、あるいは「そのようにしか生きられない」ような人たちの集団の中で、「他人と同じように、あるいは他人と違わないように生きることが、実際にはできていない人」が、もしも実際にいるのだとしたら、たしかにその人の姿は大いに人目につくものとなるのだろう。
 社会という、その集団の中で他の人々と同じように生きることができていない人だと見られるということは、その集団の中で他の人々と一緒に生きていられない人、あるいはもはやその集団の中に生きていてはならない人であるかのようにさえ、その集団の他の人々全てから見られてしまうものなのかもしれない。
 もし実際に、「その社会の中で生きてはいられない人、あるいは生きていてはならない人」だと見なされたとしたら、その人は「他の者と違わない人々」すなわち「何の落ち度もない、善良な一般市民」たちから、「われわれの社会の秩序を乱すような、危険で不審な人物」だとして一斉に眉をひそめられ、それのみならず彼らからは、極めて差別的で侮蔑的な視線で見られることにさえなるかもしれない。
 そして彼らはそのような「社会の敵対者」に対して、さまざまに何らかの「名前」をつけて、「その名前」において敵対者と見なす者らを、「われわれの社会」の中から排除するまでにいたるものなのかもしれない。

 ここで一つ注意しておかなければならないのは、そもそも何か実際に危険で不審だった人間が、そのように名づけられるというばかりではなく、むしろまずはそのように名づけられることによって、あたかも彼は不審で危険な人間であるかのように、次第に人々から注視されるようになっていくこともある、ということである。つまり彼らが「目をつけられるようになる」のは、実はむしろ「その名前をつけられることによって」なのだ。
 「名づけること」は、彼らへの「主体化の呼びかけ」(※1)であり、「名づけられること」によって彼らは「名づけられた者」としての主体性を獲得することになる。そして彼らに対する侮辱と排除とは、そのように主体化された「名づけられた意味・理由」においてなされるものなのである。
 あらためて言うが、彼らが何か前もって侮辱され排除されるべき意味・理由を持っているから、「そのような者として名指しされひとまとめにされている」というばかりなのではない。彼らはそのような名前をつけられてひとまとめにされた後、むしろそのように名指しされひとまとめにされたがゆえに、「この者らは侮辱され排除されて然るべき者なのだ」という、いかにもそれらしい何らかのさまざまな意味・理由が、「そこではじめて」彼らにおいて見出されるようになるということが、実際たしかにあるものなのだ。
 そしてそれに対して「何一つ瑕疵のない善良な一般市民」たちが、「自分自身はそれには全く該当しない者である」という意味・理由において自らを主体化し、「やつらとは違い、私は他のみんなと互いに同一であるということを、私は他のみんなと互いに承認し合っているのだ」として、「自らの立場を正当化する意味・理由づけに役立てている」ということもまた、実際たしかにあるわけなのだ。

 逆に言えば彼ら「一般市民」にとって、たとえそういった「われわれはみんな同じだという意味・理由において名づけられること」でさえも、実は絶対に避けなければならない非常に危険なことになりうるものなのである。名指しによる主体化というのは、実は常にそういったリスクをはらむものでもあるのだ。なぜなら「名を持つ」ということは、どうしたって他と区別されるということが避けられないものなのだから。
 彼ら「一般」市民は、たしかに普段からこういったリスクになりそうなものは、けっしてその手に取ろうとはしない。とにかく「自分だけ」が対象となるような積極的な意味・理由づけからは、徹底的に遠ざかろうとする。そしてあくまでも、「私は他の誰とも違わないという無−意味性・無−理由性において、自らを主体化しようとする」のだ。「一般」というワードは、そんな彼らにとってまさに「無−意味性・無−理由性による主体化」へ向けての、この上ない切り札となるわけなのである。
 一方で「そのような者である」と名指しされる者、その名前において他の者たちと区別され、「その人自身」として特定される者、すなわち「他の者たちとは違う者」は、もはやただそれだけで「罪」とされるまでにいたることさえある。彼らはそこで、「人とは違う」ということにおいてのみならず、「その人自身であること自体がすでに罪」とされているのであり、さらにはもはや「人であること自体が罪」なのだとされるまでにいたっているわけである。
 彼らはただ「名づけられているだけ」だというのに。ただ「その人自身であるだけ」だというのに。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 アルチュセール「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」


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