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脱学校的人間(新編集版)〈66〉

 互いにだいたい同じような人間であることが要求されている「水平な社会」の中では、「みんなと違う人、みんなと同じように考えない人は、排除される危険にさらされている」(※1)のだということを、人はあらかじめ承知していなければならないし、その脅威を自覚した上で日々暮らしていかなければならない。だいたい同じような人間たちの中で見出される、個々の人の間での「ちょっとの違い」は、ここでは価値とはならずにむしろ罪と見なされ、その罪を全人格的に背負わされることとなる。
 そして人は、自分自身が「一人だけで」そのような罪人と見なされるようなことを、何より恐れるはずである。逆に自分自身が他の者たちと「似ているものと見られるようになれば、人はそのことに安全感を見出す」(※2)ことができるようにもなるのだろう。そのように自分自身が他の者たちと似ていさえすれば、せめて「自分自身だけ」に人の目が集まるようなことだけは、きっと避けられることになるはずだろうから。
 そこで人が何より重要なこととして考えるのは、自分自身が他の者たちと似ているようにすることよりもむしろ、まずはともかく「この者は、他の者たちとは違う」と思われているような、「ある特定の人」に自分自身が似てしまうことがないようにすることだろう。誰もがだいたい同じような者だとされる一般的な社会集団の中では、とにかく他の者たちと違わないのでありさえすれば、ただそれだけですなわち他の者たちと似ているように見なされるような、同調的な志向の構造が強く働いているのだと考えられているのならば、人は何よりもまずそのように、他の者となるべく違わないようにすることこそが、むしろ他の者となるべく似ているようにすることよりも、まずは優先されるべきことではないかと考えるようになるものだろう。
 転じて言うと、自分自身が他人と違っているかもしれない不安というものは、実際に違っているか否かにかかわらず、それに先行して人に不安を与えることになるものなのだ。自分自身が他人と違わないようにするためには、むしろそのような不安を常に実際の現状に対して先行させ、他人と違っていないはずの自分自身を、絶えず自分自身で意識し続けている他はないのである。「実際に、他人と違っていた自分自身を発見してしまってから対処する」というのでは、何もかも全て遅きに失してしまうということになりかねないのは、火を見るより明らかなのだから。
 ではもし実際に、自分自身が他人と違ってしまっていたとしたら、人は一体どうなるのか?
 まさに「他人の目が違ってくる」ということを、そこで人は否応なく意識することになるわけである。だからこそ人は、「その目」を不安の中で先取りして意識し、「その目から逃れるため」に日頃から必死になっているのだ。

 自分は他人から見られている、それは確かなことだと自分自身でも自覚している、とする。しかしそれは、はたして鼻を見られているのか、頭なのか、それとも唇か。そのように見られている最中に、「一体どこを見ているのかを、はっきりと自覚して言える」のは、実際「見ている本人だけ」なのだろう。つまり見るということ自体は、結局は見る者の「内心の行為」であるのに他ならないわけである。
 逆に言えば、そのとき実際に何を見ていたのかは、後になってから「何とでも言える」ことなのであり、しかしその「後になって言われること」はたしかに「実際に見た結果」ではあるわけなのだ。さらに見る側は、実際には一体何を見ていたのかを最後まで黙っていることだってできるのである。ゆえに見られる側は、「私は今ここを見られている」と確信して、それに対して的を射た反応を返すということが、実は見られている最中においては全く困難なことだとも言えるわけである。そしてもしその「見られていること」に対して何か間違った反応を表してしまい、たとえば鼻を見られているのにもかかわらず頭を押さえてしまったりするなどして、それを「見ている他人」から嘲笑われるということでもあれば、それは人にとって何よりも、恥ずかしく恐ろしいこととなるのではないだろうか?
 「見られたもの=見られた結果」が誰の目にも明らかな具体性を持つのに、それを「見られている最中」に一体自分は何を見られているのかが、その見られている者自身には本当のところとしてはわからない。実は、これこそがミソなのだ。何を見られているのかがわからないからこそ、人は「日頃の行いの全てを気にする」ようになる。「何を観察されているのかわからないから、全てが観察の対象になっているかのように思える」ようになる。そして「全てを見られている」と思っているからこそ、結果的に見られる側は見る側に、「自発的に全てを見せてしまう」ようにもなるわけである。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 オルテガ・イ・ガゼー「大衆の反逆」
※2 フロム「正気の社会」


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