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母からもらったはじめての手紙。

ー 私には母が6人いる。

戸籍上は5人、そして自分の認識では6人の母がいる(いた)。
「親ガチャ失敗」という言葉を聞くと、私はどうだろうといつも考える。いくつかは失敗し、いくつかは成功したと言えるだろう。勝率で言えば2勝4敗。

ー私を産んだ母親H

私は母親Hにより33年前に産まれた。彼女は真面目で、社交的、そして自尊心の高い女性だった。彼女は24歳の時に私を産んだ。良い母だった。料理や家事を上手にこなし、義父母との関係もうまくやっていた。

私と姉の誕生日にはケーキを焼き、忙しい父に代わり、休みの日には遊園地やピクニックへよく出かけた。PTA会役員を受け持ったり、近所からの信頼も厚い人だった。

私が9歳の頃、両親が離婚した。母H曰く、父親の重なる浮気、生活の疲れ、義父母からの重圧だったという。私はお父さんっ子だったので、その頃よく泣いた。誰のせいかも当時は良くわかっていなかった。

今思えば、私と姉は母Hから度々”厳しいしつけ”を受けていた。

ズボンやパンツを履かない状態、半裸で布団たたきでフルスイングでお尻を叩かれ、しばしばミミズ腫れで座ることが辛いことがあった。顔面がパンパンに腫れるほどの平手打ちをされることも多かった。しかし当時の私たちがそれほどの悪ガキだったのかといえば違う。言わば、ごく普通の子供たちで、ごく普通のことで叱られていた。ご飯を食べるのが遅い、学校からの配布物を渡さなかった、準備に時間がかかる、どこそこに行きたいとわがままを言う、などだ。

あの頃、そんな母を良い母だと認識していたのは周りが「良い母」と言っていたからだ、そう、世間から見れば立派で完璧な母親をしていた。そんな離婚理由を抱え、娘たちを痛めつけながら、彼女は彼女のバランスを取っていたのだ。

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