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#1分小説

【掌編小説】大貧民

【掌編小説】大貧民

セルバンテスは著書『ドン・キホーテ』の中で、こう言った。


常識が変わる速さは、忍び寄るようにゆっくりの時もあるし、時として一瞬のこともある。『大貧民』というゲームで、さながら同じ数字のカードを4枚揃えるように、スペードの3が突然最も強くなることもある。
ある王国で、「貸し」と「借り」が逆転したのも、前触れのない夕立ちのように突然のことだった。


城の前に、ボロ切れを着た汚らしい男が立って

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【掌編小説】ピース

【掌編小説】ピース

昔、母とした約束がある。
夜。歩(あゆむ)はコーヒーを淹れて、ベランダから向かいのマンションの空き部屋をぼんやりと見つめていた。
3月も終わりに差し掛かるというのに、ひやりと風が頬をかすめた。


「死」について母と話したのは、あとにも先にもこの時限りだ。

それは遠い思春期の記憶。もう二十年近く前のことになる。
歩は十二歳で、当時、埼玉県の県営団地に住んでいた。
母は三十五歳、昼間は倉庫で働き

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【掌編小説】探偵の才能

【掌編小説】探偵の才能

職業柄、胡散臭い連中には慣れていたー。

その男、荒城国之の職業は、探偵だった。
荒城は調査依頼の一環で、都心部のある地域にここのところよく出向いていた。

再開発が進んだこの街は、行くたびに店構えが変わっている。
よくもまあこの短期間のうちに古い馴染みの店が潰れ、新しい店やサービスが生まれるものだ。荒城は雑踏を歩きながら、人々の栄衰について思いを馳せた。
メインストリートから一本外れた裏通りを歩

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【掌編小説】Brand new Account

【掌編小説】Brand new Account

湯沢茜は、時々、素の自分とVtuber「木南アカ」の境界線が分からなくなることがあった。

都内のマンションの一室。スタジオ、といってしまえば格好がつくが、それは自宅の寝室を防音仕様にした簡易な作りだった。

事務所の人からはもっと広くて、撮影に専念できるような物件に引っ越したら、なんて言われているけど、やっぱり今の場所が落ち着くし、裸一貫で金を稼いでいる感じが心地良くて、アカウントを作った5年

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【掌編小説】胎動

【掌編小説】胎動

目の見えない暗闇の中でも、羊水に浸かったままでも、母の身に危機が迫っていることは直感で分かった。

渋滞による寝不足のためだろう。
居眠り運転の中型トラックがスピードを出したまま横断歩道に近づいてくる気配がした。

父と母はゆっくりと横断歩道を渡ろうとしている。名も無き胎児は、頭を抱えるようにして、ぐっと身体に力を込める。

間に合え。間に合え。

ポコポコ ぐにゅー とんとん
ぷく

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【掌編小説】Fコード

【掌編小説】Fコード

僕はもう二十九歳で大人になってしまったけれど、いまでもときどき学生時代のことを思い出す。

十八歳。すべてのものごとが非生産的な方向に向かっていた時代。
僕は大学に通いながら週に二回、予備校でアルバイトをしていた。

そこでの仕事は、一言で言ってしまえば雑用のようなものだった。授業前の黒板の清掃、塾内便の記録用紙のファイリング、模試の申込受付、その他職員がやるに及ばない細かな仕事は何でもした。

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【掌編小説】Statue(スタチュー)

【掌編小説】Statue(スタチュー)

”銅像”に呼び止められるとは思ってもみなかった。

12月。クリスマス。吐く息は白い。
亜熱帯の香港にだってちゃんと冬はあるのだ。
29歳を迎えたその年、トレーニーに応募し春から1年の期限付きで現法の人事部で働いていた。

尖沙咀の人材紹介会社に行った帰り道、
女人街を抜け旺角站へ向かう途中。僕は呼び止められた。

「喂(wai)、日本人(yat bun yan)」

大道芸人だろう。
全身銀色の

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