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東京探索記 20 日暮里崖線を歩く
ゴールデンウィークのある日、上野から田端まで歩きました。
何目的で4駅分を、と思われるでしょうが歩くのが好きなので、というほかないでしょうか。
まず上野の東京藝術大学美術館で「大吉原展」を。
その後、田端駅前の田端文士村記念館で企画展「芸術村のお住居拝見」へ。
ということで展示会のはしごでの移動となりました。
藝大美術館は上野台にあります。田端の文士村記念館は駅そばの江戸坂の途中にあります。江
東京路地紀行 45 南麻布
今回も南麻布の路地を訪れました。
その路地は短くて行き止まり。昭和時代の名残りのような木造家屋が数軒、長屋状に並んで建っています。
この路地の奥は柵に遮られてその先へは行けないようになっています。
数年前まではそこにはアパートが建ち、井戸ポンプもありましたが、その後建物は取り壊され、井戸も消え、更地になりました。
今頃は新しいマンションがたっているのでしょうかね。
2022年7月に撮影した上
東京路地紀行 44 南麻布南部坂
港区に南部坂は2つあります。
一本は赤坂、もう一本は今回訪れた南麻布。
赤坂のほうは、アメリカ大使館宿舎横。
こちら南麻布のほうは、ドイツ大使館横。
どちらも大使館関連施設に接しています。
さて、南麻布の南部坂の途中に今回訪れた路地があります。
路地と言っても短い路地ですぐに空き地になっています。
坂の上はドイツ大使館、坂道の向かい側は有栖川宮記念公園、つまり旧有栖川宮邸。そして周りは外国人も多
東京路地紀行 43 荒川区
東京ではかつて都電が走っていました。しかし、自動車、トラック、バスなどの増加で利用客が減少、交通渋滞の一因ともされてしまい、路線は順次廃止されていきました。そのときに出た路線の敷石がいろいろなところで再利用されています。
ここの路地で使われている敷石もそのような都電由来なのでしょうか?
とは言いつつ、荒川区内にはまだ路面電車が走っていますね。別の路線から譲り受けたのか、やはり全く関係ないのか?
東京路地紀行 42 荒川区
荒川区。その名の通り、荒川のそばにあります。
東と北を荒川と接し、西は尾久で北区と、南は三ノ輪のあたりで台東区と接しています。住宅と町工場が多い印象の区ですが、歩いていると突然路地が出現します。
そんな路地のいくつかを探索してみました。
ゆるやかにカーブした商店街(と言ってもいまは営業していない店が多い)から横にのびている路地です。
通りに面したトタン家屋に導かれるように入っていきます。
その
東京探索記 18 駒込の躑躅
今年(2024年)は3月にはいってから寒い日々が続き、東京ではソメイヨシノも4月になるまで満開にはならず、花見ファンはいつになったらシートを広げられるんだ、とやきもきしたことでしょう。
そのソメイヨシノが目黒川を花筏となって流れていって
まもなく、ここからは堰をきったような開花ラッシュ🌸🌸🌸
躑躅、牡丹、藤、石楠花、薔薇、菖蒲、そして紫陽花。。。
しばらく毎週のように季節を代表する花たちの
東京路地紀行 41 北新宿、中野、神田川
今年もソメイヨシノが散り始めた4月上旬の夜。
神田川沿いの桜と右岸の北新宿、左岸の中野の路地を歩きました。
川べりのソメイヨシノは満開を過ぎて散り始めていましたが、まだ花筏をつくるほどではありませんでした。
さて、この川べりの遊歩道に並行するように路地が広がっています。
西新宿は昔からの木造住宅密集地域(木密地区、と呼ばれます)が再開発できれいさっぱり消え、代わりに高層マンションが何棟も建って
東京探索記 16 新宿常圓寺の夜桜
新宿区西新宿の青梅街道沿いにある常圓寺では、境内に何本かの桜があり、お花見のこの季節になると夜も21時まで開門し、ライトアップしてくれています。
今年は開花が遅く、今週(4/1週)になってやっとお花見ができる咲きっぷりとなりました。
この寺の桜は枝垂れ桜とソメイヨシノ。
枝垂れ桜のほうが開花が早く、4月1日時点で満開、
ソメイヨシノはまだ寂しい咲き方の状態でした。
下の写真のように満開の枝垂
東京路地紀行 40 四谷荒木町
荒木町といえばかつての花街。
いまでも当時の面影がところどころに残っています。
特に夜の雰囲気は花街を思わせるものがあります。
いま荒木町とよばれている場所は江戸時代は松平摂津守の屋敷だったところ。新宿通り(甲州街道)を尾根として北の靖国通り(紅葉川)へ向かって傾斜していく地形。この地形を生かして、途中に池をしつらえた池泉式庭園を屋敷内に持っていました。
その池、策の池(ムチの池)、地元の人
東京路地紀行 38 目黒区祐天寺
東急東横線祐天寺駅前にはロータリーと商店街が広がっています。その商店街の通りから一本はずれると住宅街へと街は姿を変えます。
その住宅地の一角にやや広めの路地、普通の道とも言えなくはないですが、があります。その先を見ると階段がのびています。中目黒側がやや低く、祐天寺のほうが高いのでその段差にできた階段のようです。
近づいていきます。すてきな階段です。そして階段の上にもまた階段。
上のほうはアパート
東京路地紀行 37 港区乃木坂
今夜は乃木坂へ。
と言っても乃木坂という住所はありません。
六本木xx丁目か、赤坂xx丁目か、のどちらか。
ちょうど六本木と赤坂を分け隔てる谷道が乃木坂とよばれる一帯です。
いまや乃木坂といえば、某有名女性ユニットを思い浮かべますが、乃木坂の「乃木」は乃木希典大将(*1)の自宅が坂の近くにあったことから名づけられました。自宅があった場所は今は乃木神社になっています。
乃木坂の前は何という名前だ