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ミクロネシアの記憶

 海の上を走るボートの舳先に立って詠む。独りよがりな愛を詠む。ミクロネシアの広がりが美しい。

 海上の路をゆきながら/一握の愛を受けとる 世界の誰からなのか皆目見当がつかない/そんな半端な背中をボートが轢いて/走り去って グッドバイ

 ふり向いて、操縦席を横切り、一番後ろでノートにまた詩を書きつける。書き殴ったそれを持ってふたたび舳先まで歩く。西脇順三郎を意識しながら詠み直す。

 大気の青のただなか/ 空中戦の機体の銀にゆがみ映る/敵であるあなたのエンジン/まざまざと/行為を受ける機体の銀

 ところで、私は詩人の西脇順三郎に以前会った記憶を持っていた。ミクロネシアの島でちょうど西脇順三郎の記念講演があり、坂の途中、そこに行く予定の旅人のおばさんが、あれが西脇順三郎さまよ、と教えてくれた記憶を持っていた。

 そうだった。そして島の坂の途中で詩人に出くわしたのだった。あのとき初老の彼に、詩は素晴らしいと私がいうと、売れないよと苦笑いされた。売れたら大きいでしょう。いや、アニメとは比べものにならんよ。

 詩人は持ち物を披露してくれた。胃薬からルーペ、付箋、仁丹、皮のポシェットみたいなそれは茶色だった。万年筆でサインをくれた。詩人は映画監督と違い屈託なくサインを渡してくれますね、と私。商売慣れだけはしてるからね、と苦笑する詩人。

 ミクロネシアのブルーイングリーンを二人で眺めた。そこでも私は詠んで見せた。

 くれないで/アリストテレスが染まる永遠のくれないで/くれないでくれないか 

 このアリストテレスがどうもなあ、ぼくはアリストテレスに永遠を感じたこたあないですよ、と遠慮がちな詩人の意見。ですね、でも永遠にランボオを象徴させたらもっと恥ずかしいじゃないですか、と苦しい言い訳をはじめる私。

 そんな記憶を、ミクロネシアの海上で思い出していた。島の横にある海の道のブルーイングリーンをとおるとき、島の断崖絶壁に詩人が立っているのを眺めやった。あんなところで何をしているのだろう。詩と関係があるのだろうか。太陽は真上にある。


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