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多くの友達がいた。皆いなくなった。

僕は元々引きこもりだ。

中学生でイジメにあって引きこもり、
成人してからは鬱になって引きこもった。


そして、元来僕は活動的な人間でもある。


一番の趣味は野球だ。

小学生の頃に放課後遊びでやっていた
野球が何より好きだった。

その経験が忘れられなくて24歳でグローブを買い、
26歳で本格的に草野球をやるようになった。

僕は今チームを探している最中で、
(もうほぼ入団してるに等しいチームはあるが)
ピッチャーをやっている。

始めたころは9者連続四球を出したりしていたけど
今では高校野球経験者くらいなら抑えられる。

素人なので年々レベルアップするのが目に見えて楽しい。



僕は陰と陽が割とハッキリとした形で
同居している人間だと思う。


僕は引きこもりの時期がしんどすぎて
自分を孤独な人間と捉えがちだが


実際で言うと、活動的だった時間のほうが長い。

舞台で輝く夢を追いかけたり、労働をしていたり。

お金が尽きればまた稼がなきゃいけないからね。
自然とそうなるのだけど。


つまり、人と関わる時間のほうが長かった。

マジシャン仲間、役者仲間、太鼓仲間、仕事仲間と
実は色々なジャンルの人と、
たくさんの交友関係を持っていたのだ。




それに気付いたのは、太鼓のnoteを書いていて
画像を探してfacebookを覗いたときだった。


僕は21歳でfacebookを辞めたから、
夢を追っていたあの頃の人間関係しか残っていない。

しかも、成人式に出る為に地元に帰ったから
僕をイジメていた連中や、
小学生の頃の友達とも繋がっている。


21歳からは、仕事を転々とするばかりで
仕事にも愛着がなく、
当時ですら関係が希薄だったけれど


10代のあの頃は、とても濃かった。

その人達とは、今は誰とも連絡をとっていない。



長い付き合いをしている人が、僕には誰もいない。

家族でさえも。


僕は常に居場所を探していて、
死に場所を探していた。

毎回毎回、「ここじゃない」と
「こんなとこにいるべき人間じゃない」と思って
関係を切ってきた。

いつも0か100なんだよな。

でもそれは根本的には
僕がそこに居続けるセンスがなかったからなのと、
ただプライドが高かっただけなんだ。





高校1年の時にいたマジック業界には
仲の良い友達がいた。

でも僕は根本的にマジックが大嫌いだったし、
早く違う世界に行きたいと思っていて、
業界を離れると同時に、マジックの話しかしない彼らとは距離をとった。



役者の人達とは気が合って、好きな人も出来たけど
結局、役者じゃなくてパフォーマーになりたいと思って、演劇を辞めた。
共演したり舞台を見に行ったりというきっかけがなければ集まる機会はなく、自然と疎遠になった。



和太鼓の人達とはさらに気があった。

自分が好きな芸能で、同じものを好きな人達。

マジック業界に居た時にもしも自分がマジックオタクだったらこういう関係になれたのだろうか、と思うような文句ひとつない理想的な関係だった。

とてもよかったのに、僕は鼓童の試験に落ちたときから徐々に太鼓への熱が冷めて、最終的にはその人達に啖呵を切って人力車をやりに京都に行ってしまった。

仲は良いままで、皆が僕のことを応援してくれたけど、
たった半年で僕は鬱になって会社をやめた。


そんな自分は見せられなかった。

なんて情けない。
なんてカッコ悪い。
なんで恥ずかしい。


順風満帆と思って欲しい。
挫折したのか、と思われるのは中学生のときにもうやった。
あんな惨めな思いしたくない。

見せられない。
見せたくない。



SNSの更新がない僕を太鼓仲間が心配してきたこともあったけど、僕はそっけない返事をした。

大きな啖呵を切った手前、
情けない姿を見せたくなくて。

仲間たちには嫌われた。
僕もそんな友達をウザいと思った。

そして僕はひっそりとSNSをやめ、
人間関係が消滅した。



バカな姿を見せることができない、
最もバカの話。

もしも僕が、「ダメでした」と言えたなら。
「しんどかった」と言えたなら。

もう、8年も前のことだ。



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