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【留学体験談】大学3年生|フランス交換留学|1年|2003年9月~2004年11月| Universite Strasbourg|仏語・西語・伊語にまみれる日々

本日もお越し頂きありがとうございます^^
平日毎日配信中!本日は番外編、フランス留学体験談です。

本編では、フランス語初心者の私が不安な中過ごす日々を少しばかりお伝えしましたが、留学中はどんな時間を過ごしたかなど、ご紹介します^^



フランス語学留学 体験記

留学目的

メキシコ留学と同じく、国際機関で働くには、英語以外の、スペイン語・フランス語等の習得が求められるため、フランス語を習得したいと思ったことと、英語での授業もあるため、その後のイギリス大学院留学のための英語力向上のため。(結果:英語の授業はあまりなかったため、英語力はあまり向上せず)

留学先

フランス ストラスブール(Strasbourg)
(フランスの東地域、アルザス地方の首都、ドイツとの国境線沿い
クリスマス市(Marche de Noel)で有名(コルマール等も))

留学期間

2003年9月上旬~2004年6月上旬の9カ月と、
8月~11月の3カ月の、計1年

留学先を決めた理由

交換留学の先は、元々はイギリスの大学を希望していましたが、フランスと日本の政府間交換留学プログラム(プログラム8)に合格して奨学金が頂けること、また学費も無料(日本の大学へは学費納入)となるため、ストラスブール大学への留学に決めました。

どんなプログラムだったか

〇 9月~2月頃:
✔政府間交換留学プログラム(プログラム8)における、日仏会館での欧州・フランスに関する授業(政治・経済・教育等、主に英語とフランス語にて)
✔語学学校でのフランス語の授業(IIEF)
〇 3月頃~6月:
✔Robert Schuman大学(ストラスブール大学)法学部にて、国際関係、EU機関の授業を受講、一部は単位取得し、日本での大学の卒業単位に認定

どんな学校・大学か

Univesite Strasbourg/ストラスブール大学
(当時は3つの大学から成り立つ大学群で、そのうち法学部があるUniversite Robert Schumanに在籍)
Pole Francais Langue Etrangere IIEF /(当時の名前:IIEF)
大学付属のフランス語語学学校。年間でのグループクラスがメイン。
私は3,4カ月ほど通いました。

留学中はどう過ごしたか

プログラム生だったため、前半はカリキュラムに基づいて、受講必須な授業を受けるだけで精一杯でした。毎日、
・午前:語学学校
・午後:日仏会館へ行って、フランス・欧州に関する授業
・夜:宿題や集まり等
であっという間に、秋から冬となっていました。

春頃からは、自分の専門の学部へ移ることとなり、私は日本で法学部所属のため、ロベールシューマン大学の法学部にて、主にEU機関・EU法・EU政治等について受講しました。そこで、同じく留学中のイギリス人の友人などと知り合い、今でも交流が続いているのは財産だと感じています。

学生寮

学生寮はいくつかありましたが、私は、毎月2万程度(当時)のGalliaという学生寮に住んでいました。なぜ安いかというと・・シャワー・トイレが共同だからです^^ 私はとにかく、奨学金の中ですべてを済ませたいと思っていたので、確か奨学金が800ユーロ程だったのですが、寮費が月150ユーロ程度、差し引いて650ユーロ、食費なども削りに削り、毎月400ユーロくらい貯金し、春頃にはその貯金で東欧に旅行へ行く等しました。

やや寂しかったのは、同じプログラムの日本人がほぼ全員、シャワートイレ付の別の寮に住んでいたこと・・・。これは、到着するまで全く知らず、あちゃ~と思いましたが、時すでに遅し。そして、お金もなし。

ただ、そのGalliaにしてよかったのは、日本人が本当にゼロだったみたいで、かなり珍しがられ、色んな国の人と仲良くなることができました。フランス語がおぼつかなくても、日本人だもん、仕方ないよね!と、明るく色んなフォローをしてくれたりなど、寮の隣人みんなが良くしてくれたので、フランス語力もめきめきと向上したように感じました。

ストラスブールでの過ごし方

ストラスブールは、フランスの東に位置し、ドイツとの国境線沿いにあるため、実はストラスブールの市内から、歩いてドイツの国境をまたぐことができます。橋を渡ってドイツにいく、ということができて、当時実はドイツ語のテキストももって留学にいきました。とはいえ、フランス語もままならない私は、ドイツ語のテキストを開くことはなく帰国することとなりましたが・・。

ストラスブールは、欧州機関があり、留学地として決めた理由の一つでもあります。一度だけ、欧州機関にも入り込むことができました。ちょうど議会が開いているときだった記憶があるのですが、プログラムでEU政治について教えていただいた教授がおり、その方のつてで議会の傍聴をしました。確か、色んな言語で聞くことができる機械を使い、議員が話している事を、自分が理解できる言葉に変えて聞く、という仕組みだった気がします。実はその後、ベルギーの欧州委員会にも訪問したのですが、同じような仕組みで、通訳者ブースを見せてもらったり、機械を使って聞かせてもらった記憶があります。色んな言語が飛び交うコミュニティでは、このような仕組みを活用して、人々が自分の権利を主張しながら、生きるということをつないでいるんだな、と感じました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました^^
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