見出し画像

深夜放送 なっちゃんチャコちゃん 好きな番組 その3 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 私の好きな番組。それはTBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」の毎週木曜日の番組

なっちゃんチャコちゃん

です。

 物理屋の私にとっては文系の香りがするup to 劇団、演劇、果てはシェイクスピアまでという遠かった世界への新しいGateway、しかもその裏芸としてその嗜みである(笑)深夜放送の深いお話。

 1967年の放送開始以来15年間続いた人気番組でした。
パックインミュージックという名のTBSラジオの深夜放送枠。番組編成は時代と共に変遷したようですが、私が最も良く聴いた頃には平日の深夜1時〜3時までに落ち着いて居ました。

 私が人間になって10年そこそこからの話なのですが、正確には鉱石ラジオを使いこなし始めた小学校3年生からのお話で、昭和の時代なのでまだまだ世の中は今と異なり荒っぽい感じでした。人々の生き方も波乱万丈で、ある意味では面白いのですが、そのとばっちりを受ける側は結構しんどいという構図。ただ、良く言えばおおらかさも有って社会の許容範囲は緩かったという印象でした。

 そんな背景で、そもそも2度の日米安全保障条約締結時の社会のゴタゴタやベトナム戦争等が有り、学生運動も盛んでハイジャックやイスラエルのテルアビブ空港乱射事件、あさま山荘事件なんかも起こっていました。

 人間になって10年そこそこの私には一部の大人に対して漠然と

なんだかなぁ~もう(呆れる)

と感じていたことを良く覚えています。

 呆れつつも、あんなイケてない大人にはなるまいと、表芸として小学校5年生から希望する大学に合格するまではそれに必要な受験勉強を最優先するという方針で生きていました。面白可笑しく下衆な表現をするとこんな感じ…

 一方で斜に構えるスタンスとしての裏芸として、その嗜みである(笑)深夜放送。良く聴いた竹村健一の斜に構えるスタンスでの社会の解説はその中でも比較的硬い感じでした。

これも教養として頭に入れつつの本格的な俗な世界の深夜放送番組に中学生になるとどっぷり浸る感じでした。恣意的に俗社会に入り込んで大人社会に入る助走期間にする予防接種ってな位置づけでした。

 その本格的予防接種たる深夜放送パックインミュージック。その名前はPackじゃなくてPuckだと今回の事前調査で知りました。シェイクスピアの戯曲「真夏の夜の夢」の妖精なのだそうです。当時知っていたらもっと深夜放送に傾倒していたかも知れません。昭和の知識人、制作側のシャレは奥が深い…


 また、コールの
「TBSラジオ954KHz。パックインミュージック」
の後ろで流れていた音楽はThe Brass Ringという米国人スタジオミュージシャンのバンドの1968年の作品「The Now Sound」なんだそうです。幼稚園からピアノ経由で音楽に親しんだ私にとっては、スタジオミュージシャンというのは憧れの対象で、音楽のプロ中のプロという認識。其の辺のバンドの奏者とは一線を画す奏者の最高峰という認識でした。ですからこれも当時知っていたらもっともっと深夜放送に傾倒していたかも知れません。

 そんな私が選んだ深い裏芸の世界。
その濃いパックインミュージックの枠の中でも特に木曜日深夜番組の「なっちゃんチャコちゃん」は俗だけど奥が深かった…。

なっちゃん  : 野沢那智(アラン・ドロンの吹替の声等)
チャコちゃん : 白石冬美(パタリロ、アラレちゃんの声優等)

他の曜日とは一線を画す知的な番組でした。しかも演劇という、興味は有って例えばシェイクスピア何かを鑑賞するという立ち位置で楽しむことは有っても、当事者として演劇をするというのは私からは遠い世界。その世界の2つの個性から零(こぼ)れ出る見たことのない切り口、これがたまりませんでした。ある意味でアルレッキーノ、タッチストーンそしてジョーカーといった斜に構えるスタンスの私のリファレンスを広くサポートしてくれる充実した一時でした。

 受験生でしたのでながら勉強、と言っても文系の科目たる英語、国語、古文、漢文、倫理社会、政治・経済などは流石に無理で、理系科目の数学とか物理、化学といった科目でのながら勉強でした。多分文系科目だと使う頭の領域が同じで、私の頭では並列処理し難かったのだと思います。

 お二人の話は、選択した視聴者からの手紙をネタにコメントを加えるというスタイルでした。手紙の選択が秀逸で、私には面白く、俗っぽいものの決して薄っぺらい話ではなく考えさせる話ばかりでした。

 例えば特徴的な話としてはビチグソさんからの投稿で、要は大の男がトイレを我慢できず、長ズボンから便を道に撒きながらトイレに駆け込んだという話をネタに笑いつつも、実際にそういう生理の扱いの不手際はあるよねとマジで生理現象の始末の事例について語るという感じでの進行。中学生、高校生の多感な時期、かつ自分の身体の変化に手間取ることもしばしばある時期だったので、心の深いところにお二人のコメントは入って行きました。

 ボートの津田という話も…
競技選手を目指していた津田さんからの連綿と手紙が選択され、団体競技から個人競技に移った話、1人黙々と練習に励んでいる話、オリンピック選考前後の話、オリンピック参加の話(日本がモスクワオリンピック不参加を決めて幻の…という)、オリンピック後の話とこれも最難関校受験を選んだ私としては全くの別世界。でも人生のリファレンスとしてはインサイダーとしてかつ同時性を持って競技選手の心の中を覗けたことはとても有効でした。

 上の例はかなり極端なので、当時の普通の感じを以下で味わってみて頂くのも一興かと…

 因みに

 お二人共中々濃い人生を送られています。
鉄鋼会社、IT会社、総合商社と素材から事業企画まで遡った私の人生とは全く異なりますが、

 お二人の生き方は私の人生にとってとても参考になっています。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?