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脱学校的人間(新編集版)〈59〉

 そもそも個人が仕事=労働を通じてその社会的な有用性が認められ、同時に社会=共同体の成員としてその存在が承認されるのは、「子ども時代に家の仕事に加わることから始まっている」と内田樹は言う。
「…昔の子どもたち、つまり、労働主体として出発した子どもたちにとって、学校における『勉強』と、家事『労働』は(いずれも英語で言えばworkということになりますが)同一のものとして観念されていました。一生懸命『ワーク』すれば、家族や地域の人々から『有用な社会的存在として承認される』という直接の報酬が約束されている。…」(※1)
「…子どもが家族という最小の社会関係の中で、最初に有用なメンバーとして認知されるのは、家事労働を担うことによってだったわけです。家族に対して、わずかなりとも労働力を提供し、それを通じて、感謝と認知をその代償に獲得し、幼い自我のアイデンティティを基礎づけてゆく。そういうところから子どもの社会化プロセスが始まった。…」(※2)
 「児童労働」をあれだけ非難していながら、一方ではこのように、子ども時代から労働力として仕事をにない、それにより社会に貢献することの合理性と、その「道徳性」をここで平然と主張しているのには思わず呆れ首を傾げたくなるが、それはそれとして、彼の言わんとするところはつまり「他の誰かの役に立たないと判断された者は、その社会のメンバーにはなれないし、逆にその者はこの社会のメンバーではないということが、社会的に広く認知され共有されることになる」というわけだろう。つまり「そのような無用な者には、その社会の中において生きる場所すら与えられない」という観念が、「子ども時代のワーク=労働(加えて内田は、そこにいかにも教育者らしく巧妙に『勉強』を含意させているわけだが)を通じて、その幼い自我に対して強迫的に植え付けられる」ということである。その社会的な存在承認の過程において、人=子どもは「自分自身が有用であることを社会に認められる」ことよりも、まずは「自分自身が社会の役立たずではないということを認めてもらわなければならない」というわけだ。

 社会的な存在であることが生来的に保障されるような何ものも、人間は実際のところそもそもから何も持ち合わせていない。そして、「他の誰かにとって有用ではないような者は、そこに存在してさえいないのと同義である」というのが、「社会的に有用であることにおいて共同化された社会集団」のイデオロギーであるならば、人は社会から「存在してさえいない者」だと思われないように、自分自身の有用性を社会に対して懸命にアピールし、他人からその有用性を求められる者であるようにならなければならない。
 しかし、彼のその努力が無ではない、けっして無にはならないということを保証し判断するのは、やはりここでも彼自身ではないのだ。端的に「自分が認められ、価値のある・成功した・有用なものだということ」(※3)を判断できるのは、一貫して「他人」なのである。その人が他人にとって有用な存在であるということ、もう少し詳細に言えば、その人が「他人のためとなるような有用性の規格に適合した存在だと、他人から見なされていること」(※4)を判断できる立場にあるのは、その有用性を利用することができる他人のみなのである。
 ゆえにその人自身の有用性は、やはりここでも一貫して、他人に「依存していなければならない」ものだと言うことができる。転じて言えば、自分自身の何が他人にとって有用なのか、あるいは自分がどれだけ有用であるかなどということを、自分自身で判断したりすることや、または自分自身を有用なものとして「自分自身のために用いる・取り扱う」などといったことは、「自分自身が自分自身にとって他人でない限り」は、本質的にはわからないことだし、できないことなのだ。

 有用性とは、「その有用性を使用する者にとっての有用性、すなわち使用価値」であるのに他ならない。つまりその有用性は、けっして「それを所有する者」にとっての有用性ではありえない。ゆえにそれを所有する者は、その有用性を自分自身で証明するということはできない。それを証明するのは、それを有用なものとして判断し、なおかつ有用なものとして使用することができる「他人」なのだ。
 もし人が自分自身を、「自分自身の有用性として判断し使用したい」のならば、彼は自分自身を「他人のように判断しなければならない」ことになる。人は自分自身を、「社会が自分のことを見ている」ように、「社会の視線」つまり「他人の目」で見なければならない。そして、「あたかも他人であるかのように、その有用な自分自身を生産しなければならない」ことになるのである。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 内田樹「下流志向」
※2 内田樹「下流志向」
※3 フロム「正気の社会」
※4 フロム「正気の社会」


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