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病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈44〉

 『ペスト』の訳者である宮崎嶺雄は、タルーはこの病禍の季節を通し、一貫して変化をしなかったのだ、というように解説している。
 だが実は、タルーが自らの素性をリウーに告白する場面を前後した時期から、彼の心性というのはまことに大きく変様していっているようにも思われるのである。それまでの安定していた自我が溶解し、内面の葛藤や晦渋が外部に滲み出てきてしまうのを、彼自身としてどうにも抑え切れなくなってきている様子が、それからの各所における彼の姿や振る舞いからは窺えるようでならないのだ。
 そのきっかけを思うに、市内の競技場を改修した予防隔離収容所を、彼がランベールと連れ立って訪ねた折にあったのではないかと考えられる。
 彼らはそこで、息子を亡くしたばかりのオトン判事と面会している。我が子の臨終に立ち会うこともできず、他の家族とも別れ別れに収容されていたオトン判事は、かつての怜悧さは影を潜め、すっかり面変わりしているように見受けられた。
 面談後タルーは、判事への同情の念をランベールに語ったが、しかし同時に、「人を裁く人間を助けるには、一体どうしたらいいのだろう」と、聞いた瞬間にはちょっと受け止め難いような、困惑の思いもつぶやいているのだった。
 このときタルーの胸の内では、かねてから深く突き刺さっていた心の棘が、すでに抑えがたく疼きはじめていたのだと思われる。彼はそこで、オトン判事と自らの父親とを重ね合わせ、また対比させつつ思い浮かべていたのではなかっただろうか。

 オトン判事はその後法曹には復職せずに、そのまま収容所に居残って、そこの事務関係の手伝いに携わることとなる。幼い息子を失ったことですっかり気落ちし、もはや元の仕事への意欲も同時に失くしてしまったという側面はあるのだとしても、一方そのようなペストの現場に関わり続けることで、息子の面影から片時も離れず寄り添っていたいという気持ちに駆られたところもあったのだろう。
 それと共に、自分はただ単にペストに無理やり人生を変えられてしまったということではなく、むしろそこから自ら変化したかった、あるいは変化させたかったという思いもまた感じられる。しかし、やがて彼は我が子と同じようにペストに罹患して、結果的にその命を落とすことになるわけである。
 一方でタルーの父は、息子の「変化」の真意に気づくことなく、自身も何ら変わらぬまま、その生涯を終えたのだった。なぜ自分は変わらなかったのか、変わることができなかったのか、ということにもまた何一つ気づくことができないままに。

 収容所訪問からほどなくしたある日、タルーはリウーの往診に同道して、喘息持ちの老人宅を訪問した。診療が済むと二人は、そのアパート階上にあるテラスでしばしの休息をとることにした。そしてそのときタルーは不意に、自身の身の上話をリウーに語って聞かせ始めたのだった。
 タルーは言う。自分はこの町に来て病禍に遭遇するずっと以前から、すでにペストに苦しめられていたのだ、と。そして実際には世間の誰もが、この病に取り込まれているのだ。それに気づかない者もあれば、逆にそのことに心地よさを感じる者もある。そして、そこから抜け出そうとする者も。もちろんタルー自身もまた、その抜け出そうとしている者の一人なのであった。

〈つづく〉

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