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まだ、「何者」でもない全ての人たちへ

【『アメリカン・アニマルズ』/バート・レイトン監督】

まだ、「何者」でもない全ての人たちへ。

この映画は、まさに青春版『ファイト・クラブ』として、閉塞感と焦燥感に苛まれながら青い季節を生きる若者たちの胸ぐらをグッと掴む。

そして、すっかり大人になったと思い込んでいる世代の観客も、この映画が放つメッセージから目を逸らすことはできない。

なぜなら、自分は「何者」であるかを追い求める人生の旅に、いつまでも終わりはないからだ。


《オレたちは待っていた、"何か"が起こる日を。》

2004年、大学生4人組が、大学図書館に所蔵された時価1,200万ドルを超える画集「アメリカの鳥類」の窃盗事件を起こす。

冒頭で明示されるように、これは「実話に基づく物語」ではなく、正真正銘の「実話」である。(そして、実際の犯人4名が、10年の刑期を終えた犯人役として出演している。)

大学生4人の強盗計画という、いかにもフィクションのように思える不可思議なこの事件に、レイトン監督は映画的ポテンシャルを見出した。そして、「なぜ、恵まれた家庭に生まれ、教養と知性を持ち合わせた4人の大学生が、この犯行に及んだのか」という最大の謎を、映画製作を通して解き明かそうとした。


その謎の答えに、僕たちは少し心当たりがある。

退屈でくだらない日常に風穴を開けたい。

両親や教師たちからの期待と重圧から解放されたい。

かけがえのない特別な存在として認められたい。

そして、「何者」でもない自分と決別したい。

こうした思春期特有の破壊的願望に、共感する人はきっと少なくないはずだ。誰しもの内面に、この極めて普遍的な情動が棲みついている。4人は、ほんの些細なきっかけで、そのはけ口を間違えてしまっただけだ。

だからこそ僕たちは、若さ故の過ちとして、彼らの行いを切り捨てることはできないだろう。自分事ではないものの、決して他人事とも思えないのだ。



そしてこの映画には、クライム・サスペンス作品としての魅力もふんだんに詰め込まれている。

緻密に計算され尽くした完璧な計画が、音を立てながら崩れ落ちていく絶望感。あらかじめ定められていたはずの段取りが、一つずつボタンが掛け違えられていき、気付けば、取り返しのつかない事態へと発展してしまう。

その様は、あまりにも残酷でありながら、客観的な見方をすれば、ひたすらに滑稽でしかない。

それでも僕たち観客は、そんな等身大のアマチュア犯罪者4名に、完全に感情移入してしまっているからこそ、どんなスパイ映画にも負けないほどの壮絶な緊張感を味わうことができる。特に、犯行直前の一連のシークエンスには、僕は思わず息を飲んだ。



今ならまだ引き返せる。ここで立ち止まれば、きっと「普通」の人生を送ることができる。この映画を観ながら、僕は何度もそう思った。

しかし、釈放された犯人たちが、「自分たちの人生で最高の時間だった」と振り返るシーンに、雷が落ちたような衝撃を受けた。

そうだ、彼らは、懸命に青春時代を駆け抜け、そして、「何者」かになれたのだ。

この映画的興奮は、ドキュメンタリーとフィクションが美しく溶け合った今作にしか描き出せないものだろう。

こんなにも苦く、生々しく、そして輝かしい青春映画、滅多に出会えない。

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