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抽象的に悩んでおる、落ちこぼれの大学生であります。 私がnoteを利用する目的は、私と…

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抽象的に悩んでおる、落ちこぼれの大学生であります。 私がnoteを利用する目的は、私と同じような価値観を持った方との出会いです。 X(Twitter)でDMしていただけると幸いです。 楽しみにお待ちしております。失礼します。 X→@chusho_kigyo

記事一覧

SDGsと記号論

SDGsとは文化である。 しかし、それと同時に、SDGsとは文化である。 カラフルな円環に身を固め、文化的フェティッシュから世界を裁断する。 まさに、イデオロギーとしての…

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1か月前
4

「主語がでかい」とは言わせない

「主語がでかい」なんて言葉を最近よく耳にする。 例えば次のような文。 「我々男性は細かい所までこだわるんですよ!」 まさに「主語がでかい!」という批判が飛んできそ…

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1か月前
7

魅力的な人になる

あなたが魅力的な人間になりたいのなら、この文章はお役に立てるでしょう。 強烈な幻想とは、切断的認識と結合的再解釈によって生じる渦の中に、おぞましさにも似た、美を…

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2か月前
3

読書的な理念による病

読書を通じて知的に発展することは、しばしば読書的な理念として掲げられる。 読書においては、一旦個人の持つ思想を徹底的に破壊させた後に、もう一度思想を立て直す運動…

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2か月前
2

情熱渇望症

私は、情熱渇望症である。 時には、何に対しても不感応な、長い夜の時間を過ごすことがある。 特に、何かに大きく揺さぶられることもない。 いや、それは言語的な防衛本能…

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4か月前
1

哲学的に死にたい

私は哲学的に死にたい 哲学というものは一応言語的活動による抽象的な世界であるが、その言語行為を通して私は何故だか興奮してしまう。 なぜだろうか? おそらく、哲学と…

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4か月前
3

酒とタバコの時代

人生100年時代と言われる現代。 少子高齢化が叫ばれる中、我々は果たしてそんなに長生きしたいのか? 私はそうは思わない。 せいぜい長生きして75歳までには必ず死にたい。…

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4か月前
1

私という存在

私という存在が何者でもないということ。 これを深く理解する。 生きる意味などないということ。 これを深く理解する。 無意味に心を開かせるための、はじめの一歩として…

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5か月前
3

マスク

マスクで顔面を隠すという、あまりに単純な、秘密への誘惑はもちろん我々に無限の可能性へと開かせ、イデア的ロマンへと駆り立てる。 しかし、隠された一部をエロティック…

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5か月前
5

いい加減「自分らしさ」を諦めなさい。。。

私たちはいつも「自分らしさ」を追い求めている。 「私は何者なのか?」と自問し、「私は何者でもないじゃないか⁉︎」と自答する。 そして、どうにもこうにもならなくなっ…

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5か月前
1

他者性の克服宣言

いつだって土台としての自明性を破壊するの他者性でないか! これが分かったならば、最後にすべき肯定、信頼に値すべき処方箋、これが見えてくるだろう。 それは、他者性を…

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5か月前
11

常識は疑うな!

みなさんも一度はきいたことあるだろう「常識を疑え!」という言葉。 既存の考え、抜け出せなかったはずの檻のようなもの、から抜け出す。 そして私たちを、知らない世界へ…

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5か月前
6

「ゴミは処理してくれ!だけど、ゴミ処理場は近所に置かないでくれ!」ーNIMBY問題と弁証法的図式ー

地方自治体ではNIMBY問題なるものが囁かれている。 NIMBY問題とは、「not in my backyard」の略であり、「施設の必要性は容認するが、自らの居住地域には建てないでくれ」…

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5か月前
2

ロマンは行為に先立つ

「ロマンは行為に先立つ」 最近、私はこのように思うのである ロマンというのは人間的活動による生産物であると思われるが、ではそれはいかにして生産されるのであろうか…

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5か月前
8

朝倉未来の美しき物語

11月19日、FIGHT CLUBという格闘技イベントでキックボクシングルール、朝倉未来vsYA-MANの試合が行われた。 朝倉未来は言わずもがな人気選手。 下馬評ではその人気からか、…

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5か月前
5

「タイムスリップ」自己破壊のロマン

私は定期的に「今までの自分を破壊し尽くしたい」というような衝動にかられる。 私は高校生の頃、ゲームが大好きであった。 友達とApexに熱中し、昼の14時から朝の5時まで…

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5か月前

SDGsと記号論

SDGsとは文化である。
しかし、それと同時に、SDGsとは文化である。
カラフルな円環に身を固め、文化的フェティッシュから世界を裁断する。
まさに、イデオロギーとしての諸生産物から抜け出せないでいるようだ。
だが、本来的には、自然との調和とは文化を排除した上での調和であるはずではないか。
しかし、残念ながら我々は文化を捨てることなどできない。
我々が、シミュレーション、共同幻想、システム、内存在

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「主語がでかい」とは言わせない

「主語がでかい」なんて言葉を最近よく耳にする。
例えば次のような文。
「我々男性は細かい所までこだわるんですよ!」
まさに「主語がでかい!」という批判が飛んできそうな主張である。
「我々男性」に勝手に組み込まれた人からすれば、
「別に俺はこだわらねぇよ!」
とか
「何勝手に代表者気取ってんだよ!」
とか言いたくなるのも無理はない。
しかし「主語がでかい」批判が指摘しているのは、あくまで主張の真偽で

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魅力的な人になる

あなたが魅力的な人間になりたいのなら、この文章はお役に立てるでしょう。

強烈な幻想とは、切断的認識と結合的再解釈によって生じる渦の中に、おぞましさにも似た、美を発見するところにある。

これについて説明する。
切断的認識とは、対象の個々の振る舞いを、ぶつ切りに認識することである。
我々は、何かを見る際、その何かを永遠に観察することはできない。
あるとき見たそれは、時間的にまたは空間的に隔たりを設

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読書的な理念による病

読書を通じて知的に発展することは、しばしば読書的な理念として掲げられる。

読書においては、一旦個人の持つ思想を徹底的に破壊させた後に、もう一度思想を立て直す運動がなされる。
しかし、この破壊的過程と建設的結末に、もう騙されてはいけない。
もう少し正確にいうならば、建設的結末には騙されてはいけない。
読書の本来的価値は、ただ思想の破壊において見出されるべきであるからだ。

我々は読書に何を求めてい

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情熱渇望症

私は、情熱渇望症である。
時には、何に対しても不感応な、長い夜の時間を過ごすことがある。
特に、何かに大きく揺さぶられることもない。
いや、それは言語的な防衛本能によるものなのだろうか。

私が思うに、もしこの世に言葉などなかったならば、ただミミズやオケラやアメンボのように、ただそのままに生きられたのかもしれない。
しかしながら、私は言語を、深く残念ながら、習得してしまった。
生きている意味がわか

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哲学的に死にたい

私は哲学的に死にたい
哲学というものは一応言語的活動による抽象的な世界であるが、その言語行為を通して私は何故だか興奮してしまう。
なぜだろうか?
おそらく、哲学というものは、言語行為でありながら、言語行為から一歩抜け出すことができると感じるからだ。
言語を通して言語を超える。
それこそが哲学たるものの本当の美しさなのだ。
哲学の世界に埋没することは、哲学的世界で人生を全うすることは、すなわち言語を

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酒とタバコの時代

人生100年時代と言われる現代。
少子高齢化が叫ばれる中、我々は果たしてそんなに長生きしたいのか?
私はそうは思わない。
せいぜい長生きして75歳までには必ず死にたい。
早ければ早いほどいいとまでは言わないが、
しかし、現代人は恐らく長生きするだろう。
なぜなら、現代人は「予測可能性」に対してあまりに傾倒してしまっているからだ。
予測可能性とは、すなわち、アレコレをしたらコレコレになるというような

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私という存在

私という存在が何者でもないということ。
これを深く理解する。

生きる意味などないということ。
これを深く理解する。

無意味に心を開かせるための、はじめの一歩として。

私が無意味であるならば、私は何者でもあるのだ。

私がどうとでもあり得た無限の可能性を秘めた存在に。

もう一度帰ろう。

マスク

マスク

マスクで顔面を隠すという、あまりに単純な、秘密への誘惑はもちろん我々に無限の可能性へと開かせ、イデア的ロマンへと駆り立てる。
しかし、隠された一部をエロティックなものとして捉えるのは、やはりあまりに単純である。
真にエロティックであるのは、いっそマスクをしていないことなのでないか。
マスクをしていない、すなわち、アッケカランとしたそのままの顔面であるにも関わらず、やはり何かを隠されているようなイメ

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いい加減「自分らしさ」を諦めなさい。。。

いい加減「自分らしさ」を諦めなさい。。。

私たちはいつも「自分らしさ」を追い求めている。
「私は何者なのか?」と自問し、「私は何者でもないじゃないか⁉︎」と自答する。
そして、どうにもこうにもならなくなって、こたつの中で、冷たく縮こまる。
私が言いたいのは、「いい加減『自分らしさ』を諦めなさい」ということだ。

私たちは、生きる意味を求める。
なぜなら、意味のない人生には意味がないからだ。
人生に意味があるからこそ、生きる意味があるのだ。

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他者性の克服宣言

いつだって土台としての自明性を破壊するの他者性でないか!
これが分かったならば、最後にすべき肯定、信頼に値すべき処方箋、これが見えてくるだろう。
それは、他者性を受け入れる、いやそれ以上に、他者性を愛し求めることだ。
これは高度に抽象化なされた世界での単なる逆張り的肯定に過ぎないが、一方で、これが十分に機能しうることは私たちの実感の中で既に確実である。
他者性という、何とも許しがたい世界の中に身を

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常識は疑うな!

みなさんも一度はきいたことあるだろう「常識を疑え!」という言葉。
既存の考え、抜け出せなかったはずの檻のようなもの、から抜け出す。
そして私たちを、知らない世界へ、際限のない地平線へ、無限の可能性へと開く。
しかし、これは大きな罠を含んでいる。
常識を疑っていると、あるとき、足元がヌカルんでいることに気づく。
指先がズブズブと潜っていき、泥と指の境界線が揺らいで、やがて分からなくなる。
実は常識と

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「ゴミは処理してくれ!だけど、ゴミ処理場は近所に置かないでくれ!」ーNIMBY問題と弁証法的図式ー

地方自治体ではNIMBY問題なるものが囁かれている。
NIMBY問題とは、「not in my backyard」の略であり、「施設の必要性は容認するが、自らの居住地域には建てないでくれ」という意味である。
これにあたるのが、地方自治体の原子力発電所計画や軍事基地、ゴミ処理場建設などの問題である。
確かに、ゴミ処理場が必要なのは分かっていても、それが近所にあっては困るだろう。
そこで私は、住民投票

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ロマンは行為に先立つ

「ロマンは行為に先立つ」

最近、私はこのように思うのである
ロマンというのは人間的活動による生産物であると思われるが、ではそれはいかにして生産されるのであろうか。
おそらく言語活動によって、しかも観念的に生産されるのであろう。
例えば読書をするとき、私はロマンを感じる。
本の中に広がる未だ見たことのない世界の中へ、徐々に高まる恍惚感を抱きながら、最後には裸で駆け出してしまいたく思うのである。

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朝倉未来の美しき物語

朝倉未来の美しき物語

11月19日、FIGHT CLUBという格闘技イベントでキックボクシングルール、朝倉未来vsYA-MANの試合が行われた。
朝倉未来は言わずもがな人気選手。
下馬評ではその人気からか、彼の勝利が囁かれていた。
しかし、実際はそうでなかった。
彼は1ラウンドでKOされてしまったのだ。
YA-MANの右フックに、頭から崩れ落ちる朝倉未来。
これほど鮮やかに試合が終わることなど誰も想像していなかった。

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「タイムスリップ」自己破壊のロマン

「タイムスリップ」自己破壊のロマン

私は定期的に「今までの自分を破壊し尽くしたい」というような衝動にかられる。

私は高校生の頃、ゲームが大好きであった。
友達とApexに熱中し、昼の14時から朝の5時まで、通話をしながら楽しんだのを覚えている。
勉強なんてそっちのけであった。
しかし、ある時、とてつもなくゲームを辞めたくなってしまったのだ。
なぜだろうか。
それは、
「私の人生はこれから先もずっとゲームをし続ける人生なのだろうな」

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