記事一覧
毒親に婚約者を紹介する
昨日のブログでは毒親に結婚相手を紹介すると決めた時に感じたストレスについて書き綴りました。 https://note.mu/haru_sur/n/nc87be33a0e63 今日は、実際にどんな流れで…
夫にも理解してもらえない虐待
昨日は、一番の味方だと信じている夫に辛く苦しい子ども時代のことを「はるはネガティブだよね。毒親の事情はたしかにこれまで聞いてきたけど、もういい歳なんだから過去のことに固執したって仕方ないじゃん」と言われて大泣きしました。
私の家はそろいもそろって毒持ちです。頼れる親族なんか私にはいなくて、やっと安心してネガティブな思考も打ち明けられる人が現れたと思ったのに、ここでも理解されないのかと心細くなりま
コンプレックスへの執着
先日カウンセリングで低学歴、貧困、田舎この3つのコンプレックスが根強いことを打ち明けた。Twitterやブログでは発信してきたけれど、対面で人に伝えるのは初めて。「今は3つとも当てはまらないのになぜそんなに怯えているのですか?」と聞かれ、自分でもなぜこんなに執着しているのかわからない。
なぜと言われても答えが見つからず、突き詰めて考えると、かなりシビアだが「私は親を恨み続けたいから」「自分がもっ
永遠に娘を支配しようとする毒親
こんにちは。
田舎の低学歴貧困毒家庭で育った毒親サバイバーはるです。
私の親は支配型の毒親で、実家で暮らしている際はもちろん、実家を出て自立した後も私のことを支配できると勘違いしている人です。
今日も悲惨な毒親エピソードを紹介して毒親の生態を暴いていきます。
私が自分の結婚式の準備をしていた時のことです。私は本当は親を招くことに前向きになれなかったのですが、夫にさすがにそこは呼ぼうよと言われ
矛先は一番弱いところへ
県営団地で暮らしていた子ども時代、私は団地のガキ大将的な存在の子からいじめや意地悪を受けたことがあった。
いじめっ子の親ももしかしたら毒親で、家もうちと同じように貧しかったのかもしれない。そのストレスのはけ口が、私に向けられたこともあったんだろうなと思っている。
小学校1年生の頃、3年生〜5年生の子5人くらいから1対複数でいじめを受けたことがある。辛くて怖くてわんわん泣いて急いで自宅に逃げるよう
0か100かだけで考える毒親
子どもの頃、私は県営団地に住んでいた。団地の中には公園があり自転車も走れるくらい道は広く、私はよく近所の友達と団地内で遊んでいた。
あるとき、親戚のお姉さんから少女マンガキャンディキャンディのイラストが描かれた補助輪付きの自転車を譲ってもらい、私はその自転車に乗って団地内を走り回って遊んでいた。
私の友人のまいちゃんも自転車を持っていて一緒に自転車を並走して遊んでいたが、まいちゃんは「俺のもの
独自ワーク 毒親育ちのメリット
毒親育ちというと、私にはネガティブで暗いイメージしかない。
しかし、世の中には多種多様な考えがあり、絶対に他人に自分は傷つけられないという説が昨今は有力だ。自分が他人に傷つけられるのは他人の行為に自分がネガティブな意味づけをしているだけだと。そこで、私も独自で毒親に産まれたメリットを列挙するワークをこの場でやってみようと思う。
※毒親といってもいろんなタイプがあり個々の状況は千差万別のため、あくま
毒親に婚約者を紹介する
昨日のブログでは毒親に結婚相手を紹介すると決めた時に感じたストレスについて書き綴りました。
https://note.mu/haru_sur/n/nc87be33a0e63
今日は、実際にどんな流れで毒親に彼を紹介して、どんなところに着地したのかを書いていこうと思う。
彼を毒親に合わせる前、彼には私の親がどんなに変わっていて、どんな気持ちで会食に挑めば良いのかを事前に説明した。
私は上京して
毒親育ちの結婚準備における苦悩
前回のブログでは毒親育ちが大きなライフイベントを迎える際に、フラッシュバックを頻繁に引き起こし情緒不安定になったという話を書いた。
私の場合は自分の結婚によってフラッシュバックを頻繁に引き起こしていた。
これから毒親を巻き込んで結婚準備を進める人の役に立てればと思い、どんなポイントで情緒不安定になったのかを複数回に分けて綴っていこうと思う。
第一関門、毒親に彼を紹介する単純に、学がなく野蛮
フラッシュバックを起こすライフイベント
田舎の低学歴家庭に産まれ、24歳まで実家で暮らしてきた。24歳で上京し、親と離れてから早5年が過ぎようとしている。
社会人として自立し、東京で一人暮らしをして親とも物理的な接触を断ってきたが、幼少期の虐待やモラルハラスメントを受けた情景はいまだ鮮明にフッとよぎることがある。
いわゆるフラッシュバックというものだ。
フラッシュバックは仕事をしている最中、一人の帰り道、家で家事をしている時などにふ
夢と希望を奪う低学歴低収入家庭
毒親の元で長年育ち、常日頃からごくごく普通に「お前にはできない」「お前なんか」「ほらダメだっただろ?」という言葉を、どこか面白そうにかけられてきた。
中学の頃は、一生懸命勉強しても「お前にあんな高校受からない」、部活で勝ち進んでも「どうせそれ以上は勝ち進めない」と言われ続けた。
一番衝撃的で今も印象に残っているのは、高校時代に進路の話をした時のこと。
私は「バリバリのキャリアウーマンになりたい」