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『マザー』第7話「ある女の願望」

 トクン、トクン…あぁ、またこの感覚…。小学生の頃、初潮を迎えて以来、私はなぜか子宮の辺りで鼓動を感じる夢を見ながら、目覚めることが多かった。特に生理前になると、毎日のようにそんな夢を見ては、その不思議な鼓動を感じていた。
 中学生になるとそのおかしな違和感に不安を覚え、病院で子宮を調べてもらったことがあったものの、特に異常はなく、PMSの一種で生理前の女性ホルモンの変化によるものだろうから、心配しなくていいと医師から言われた。
 PMSや女性ホルモンの変化のせいと言われても、何となくしっくりこなくて納得できなかった私は、自分なりに自分の身に起きる症状を調べていくうちに、これは想像妊娠の一種ではないかという結論に辿り着いた。
 
 なぜか私は人より子どもがほしい願望が強かったため、それが夢に現れるのかもしれないと推測した。何しろ小学生の頃にはすでに、大きくなったら絶対、赤ちゃんがほしいと考えていたから。その願望が実現可能なら、幸せな夢かもしれなかったけれど、妊娠できるわけがない私にとって、それは幸せな悪夢に過ぎなかった。人が苦手で、できれば誰とも関わりたくなくて、自分のことも嫌いな私が、子どもをほしい、命そのものに触れたいなんて、どうして愚かな夢を見てしまうのだろう。子どもを産みたいなんて、人間嫌いの私には、最も向いていないことなのに…。
 
 人にコミュニケーションをとることが極端に苦手な私は、物心ついた頃から母に守られて生きていた。家族の中でも特に母とだけはなんとか会話が成立したけれど、見知らぬ人、初対面の人、学校の先生、同級生なんかとはまともに口を利けなかった。私を大事な所有物のように扱っていた母は、私がコミュ障であることを気に病むこともなく、むしろ自分だけが娘とコミュニケーションを図れる唯一無二の存在として喜びを感じているようだった。健全な母親なら、人付き合いが苦手で友だちもいない我が子のことを心配するはずだけれど、私の母の場合、私に友だちができず、いつも一人の方が、友だちから入れ知恵やいたずらを教わる心配がなく、安全だと考えていたらしい。勉強だけは得意だった私は進学校に通っていたせいもあり、高校生まではとにかく一人で黙々と勉強さえこなしていれば、会話できなくとも学生として認めてもらえた。母も私が誰とも関われない大人しすぎる子でも、成績さえ優秀ならそれだけで素晴らしい娘と、全く憂うことなく、誇りに思っている様子だった。
 
 私はそんな母に対して反抗心を抱く勇気さえなく、母に支配されたまま、孤独な高校生活を送っていた。大学は母に言われた通り、偏差値の高い国立の医学部を目指し、友だちを作ることも、恋することも経験しないまま、ひたすら勉学に励んでいた。内心はこのまま、母以外の誰とも関われない自分でいいのだろうか、将来的に子どもを産みたいと密かに夢見ているのに、異性に興味さえ抱けない自分のままで本当に大丈夫だろうかと苦悩していた。いずれ妊娠したいなら、妊孕力を高めるためにも、性に関心を持たなくてはならない。まだ異性と触れ合うことはできなくても、せめて自分の性欲を高めておく必要があるのではないかと真剣に考えた私は、まずは自分自身の身体と向き合うことにした。子がほしいと願ってしまう大馬鹿な私は、大真面目に自慰行為に取り組み始めた。もちろん母には内緒で…。
 
 最初に乳首をいじってみたけれど、ネットに書いてあったようには気持ち良い感覚にはなれなかった。次にショーツ越しに陰核の部分を触ってみた。こっちの方は何となく気持ち良い気がした。慣れてくると直に陰核をくりくり弄びながら、乳首をいじるようになった。気持ちいい…。母は決して教えてくれなかった女の快楽を覚えた私は、勉強の合間にも自慰をするようになった。その行為の最中に、なぜか赤ちゃんの顔が脳裏を過り、赤ちゃんに乳首を吸われる妄想さえしてしまうようになった。私にとっては自慰さえも、想像妊娠の一種だったのかもしれない。自慰をマスターした頃には、起床時に子宮で鼓動を感じる頻度がますます増えた。その鼓動はおそらく妊娠願望が強い私だけが感じられる、いるはずのない胎児の疑似心拍だろうと思うようになった。
 
 秘め事を楽しみつつ、受験勉強に専念した私は、母の願い通り、第一志望の医学部に合格できた。そう遠くはない大学だったため、母は私が自宅から通うものと思っていたらしい。けれど私は一人暮らしをしたいと初めて母に私の意志を自ら伝えた。自分から何かしたいと言ったことがなかった私が突然、そんなことを言い出したものだから、母は戸惑っていた。しかしその気になれば毎日でも様子を見に行ける距離と考えたのか、母は私が一人暮らしすることを許してくれた。
 
 自分から言い出したことだったけれど、他者とまともに会話できない自分が、一人暮らしなんて本当にできるだろうかと不安も拭いきれなかった。しかし私は無意識のうちに私をいつまでも我が物にしている母から自立したかったのだと思う。母から離れられると思うと心が軽くなった。
 
 そして一人暮らしの準備を進めていた高校卒業後の春休み、母から衝撃的な事実を告げられた。
「鏡子(きょうこ)はお母さん以外と関われない子だから、大丈夫だと思うけど、念のため、教えておくわね。お母さんは大学生の頃、妊娠してしまった経験があるの。相手も学生だったから、おなかの子は中絶するしかなかった…。産めなかったとしても、命を感じられたことは意味があったと思っているの。私の人生には意味のある経験だったと…。けれどね、どんなに意味のある経験でも、一生引き摺ってしまうようなつらい経験でもあるの。だからあなたにはそんな過ちを経験してほしくないのよ。母親としてそのことだけは教えておきたかったの。でもまぁ、鏡子は異性どころか、お友だちもいないから心配ないことよね。一人暮らしを始めても、なるべく誰とも関わらないことが自分の身を守ることになるから、これからも鏡子は鏡子らしく一人で生きるのよ。お母さんだけは味方だから、何かあればお母さんを頼って。」
突然の母の告白にショックを受けた私は、いろいろ聞きたいことがあった気がするけれど、「うん、分かってる。」と返答するのがやっとだった。
 
 母は私を産む前にも妊娠していた…。私はずっと一人っ子だと思い込んでいたけれど、私には実は兄か姉がいたんだ。学生だからってせっかく授かった子を堕胎してしまうなんて…。中絶は意味のある経験だったなんて美化していたけど、そんなはずない。妊娠したら産むのが理想で、中絶なんて意味のある経験とは思えない。命を捨てるなんて残酷な行為で、どんな事情があるにせよ、本当は許されることではない。私はこんなに妊娠したいと願って、異性と関われない自分が歯がゆくて悩んでいるというのに、母はそんな私のことを逆に安心していた。悔しい…。私と正反対でコミュニケーション能力に長けている母は、学生のうちにちゃんと恋愛して、妊娠まで経験して中絶して、それでも結婚して出産して、好き勝手生きているというのに、私のことはいつまでも子ども扱いして拘束しようとしているんだから…。もしかしたら中絶した子の方が、私なんかよりも優秀で、コミュ障でもなくて、生まれるべき命だったかもしれないのに…。でも母からすれば、コミュ障の子の方が恋愛できなくて安心なのかな。母の思い通りにできる私みたいな子の方が、母にとっては良い子なのかな…。
 
 そんなことを悶々と考えているうちに、私が子どもの頃から体験している子宮の鼓動はもしかしたら、生まれることのできなかった兄か姉の心拍ではないかと思うようになった。母は産まなかったけれど、私の中で兄か姉の命が生きていて、私に産んでほしいとサインを出している気がしてならなくなった。私は母が捨てた命を産むために、生まれたのではないかと勝手に考えるようになった。母から中絶経験があることを告げられて以来、私はますます妊娠願望が強くなり、母の監視が少しは緩むはずの一人暮らしをしているうちに、コミュ障を克服し、異性と交わり、恋愛して、妊娠してみせると決心した。
 
 学生のうちに妊娠したいなんて普通なら愚かな発想かもしれないけれど、実際、私の母や他の女性たちも経験していることだから、許されないことではないだろうと考えていた。むしろ妊娠した結果、中絶することの方があるまじき行為で、許し難い。私は妊娠できたら必ず産むと決めているから、学生であっても問題はないだろう。自分にはまだ経済力がなくても、相手に子を養えるだけの財力があれば問題ないと思った。つまり私は恋愛するとしても、学生のうちは、同級生より社会人が良いと考えた。コミュ障でそもそも誰とも関われないというのに、恋の段取りだけは余念がなかった。
 
 大学生でコミュ障の私が関わらざるを得ない社会人かつ経済的に豊かな相手と言えば、大学教授だった。私は鬼頭教授という教授の中では若く、独身の相手に目をつけた。鬼頭教授の講義を受けた後、私は教授の目に留まりやすい机にノートをわざと置き忘れて帰った。そのノートには講義内容だけでなく、妊娠願望がある私の心の内を書き綴っていた。そのノートに気づき、中身を読んだ教授から、翌日、私は呼び出された。そこまでは計画通りだった。私はコミュ障のくせにしたたかであざとい人間だった。それも妊娠と出産を実行するための手段でしかなく、本意ではなかったけれど…。
 
 呼び出されたところまでは想定通りだったものの、教授は私の推測を超えた行動に出た。コミュ障の私に妊娠願望があると気づいた教授は、コミュ障を治す訓練と、妊娠するための行為を教えると言い出し、その場で私の身体に触れ始めた。ずっと興味のあった異性との触れ合いだから、この際、教授に身を委ねようと覚悟を決めた。しかし初めて生で見た陰茎には気持ち悪さも思え、これが私の中に入るのかと思うと恐怖も感じたけれど、教授にされるがまま、私は処女を失った。予想以上の激痛に思わず、やめてくださいと拒絶反応も出てしまったけれど、この痛みに慣れなければ、妊娠できないし、まして出産となったらさらなる激痛に襲われるのは必至だったから、我慢して獣のような陰茎を受け止めていた。その行為の間、私は教授が私の身体に与える痛みと快楽より、これで母の呪縛から逃れられたという喜びの方が勝った。このまま教授と関係を続けられれば、きっと妊娠できて、念願だった出産を達成できる…。お金持ちの教授なら子と私を大事に養ってくれるはずだから、経済的にも心配ないと、自分の願望を実現させるため、私は教授を愛せるように自分を騙し続けた。
 
 私のことをただの大人しくて手懐けやすい従順な女子学生と信じきっていた教授は私の策略なんて知らないまま、私に一途な愛を向けてくれるようになった。私の方も、子どもの頃からの密かな夢を実現させるためなら、教授からの寵愛を受け止めることができた。教授と避妊しない性交にふけり、定期的に妊娠検査薬で妊娠できたかどうか確認した。けれど1年、2年過ぎても、一向に陽性反応は出なかった。自分の身体に何か問題があるのかもしれないと思った私は、教授に内緒で産婦人科へ行き、子宮や卵巣を調べてもらった。するとちゃんと排卵もしていて、何も問題はないと言われた。私の身体が健康ということは、教授の身体の方に何か問題があって妊娠できないのかもしれない。そのことに気づいた私は、このまま教授との関係を続けていいものか悩み始めた。教授のことは嫌いではなかったし、時間の経過とともにそれなりに情も芽生えていたけれど、私はあくまで妊娠したいのであって、妊娠させてくれない相手にいつまでもこだわっている場合でもなかった。
 
 私が教授に冷めつつあっても、教授の方は私のことをますます愛してくれて、自分の陰茎でディルドまで作り、私にそれを渡した。自分以外のモノを私の膣に入れてほしくはないと、独占欲も出始めていた。教授はまるで母のように、私のことを自分の所有物扱いし、己の支配下に置こうとした。それも教授から気持ちが冷めた原因だったかもしれない。私は母から逃れたくて、教授という異性と交流しているというのに結局、自分を支配するような相手としか関われない自分が惨めに思えた。
 
 気持ちが冷めてくると、子宮で鼓動を感じながら目覚めることも減ってしまった。このままでは生まれようとサインを出し続けてくれていた命が消えてしまうと危機感を覚えた私は、教授に別れを切り出そうと思った。けれど別れを切り出す前に、教授の方から、私が大学を卒業したら結婚してほしいとプロポーズされてしまった。生殖学を研究している教授なら、自分の精子くらい調べたことがあるはずで、妊娠させられないと分かっていたのか、もしもこのまま子を授かれないとしても、自分が研究している人工人間が誕生すれば、その胎児を私たちの子として迎えられるから何も心配いらないと前置きまで語っていた。そんな保険まで私に伝えるということは、やはり教授の精子は妊娠させる力がないのだろうと確信した。
 
 教授がいずれ実現させると言い張っている人工人間は母胎を再現したマザーと呼ばれる保育カプセルの中で育つらしく、自分の子宮にその命を宿し、自力で産むことはできない存在で、私にとっては悲しい命だった。自分の子宮で胎動を感じられず、産みの苦しみも味わえないのなら、どんなに自分の遺伝子も含まれる子だとしても、育てる意義が見出せなかった。私は自分の子宮に命を宿し、9ヶ月もその命と共に生き、二人の心拍を感じながら、命がけで命を生み出したいのだ。まだコミュ障を完全に克服できていないとしても、命がけで産んだ我が子なら、きっと私なりに懸命に育てられる。私の母性は教授が与えてくれるという気休めの命には興味を持てず、自力で妊娠・出産する本物の命しか欲していなかった。
 
 だから私は何も言わずに、教授の元から離れた。教授が私を探すのは目に見えていたため、大学もやめ、実家にも戻らなかった。教授も母もいない地で、新たな精子を求めて、私はコミュ障ながらパパ活を始めた。会話できなくとも、鬼頭教授が教えてくれた、身体と身体での対話、つまり性交ができればパパたちとの交流は難しくなかった。教授のように妊娠させられない精子をもつ男性は避けたいため、あえて既婚で子持ちの男性に目をつけるようになった。子持ちなら確実に妊娠させられる精子を持っているはずだから。しかし既婚となると、離婚してまで結婚してもらえる可能性は低かった。私はこの際、結婚せずとも子を認知してくれて、母子を養ってくれる経済的に余裕のある男性なら誰でもいいと考えるようになった。とにかく私を妊娠させてくれて、出産させてくれる相手ならそれほど若くなくても構わないと…。
 
 口数が少なく、大人しい私は、年配の男性からも好かれやすかった。子どもが8人もいるという精力旺盛な自分の親より年上の男性と出会い、妊娠願望があることを告白し、種付けされる日々を送り始めていた。命を授かれる日は目前に迫っていると信じながら、母性の怪物で妊娠願望狂の私は、生命力みなぎる陰茎とじっくり対話を重ねていた。

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