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南国土佐を後にして〜一豊の人生part2〜
こんにちは♪hm384352です!
今回は山内一豊が織田信長についていた時の人生を一緒に見ていきたいと思います。
その前に前回の振り返り。
若干15歳前後であった山内一豊は父山内盛豊と兄を仕えていた岩倉織田家と織田信長との内紛に巻き込まれて殺されます。
一家の長となった一豊は縁戚に当たる前野長康のところに身を寄せていましたが、前野長康の所を訪ねてきた牧野政倫に気に入られ牧野家に仕えることとな
南国土佐をあとにして〜part1
こんにちは!hm384352です!
この前の3連休に高知に行ってきましたので数回にわけて感想をお話していきたいと思います!
今日は高知城歴史博物館です!
高知城歴史博物館は高知城の追手門すぐそばにあります。
3階が展示室となっていて、2階はカフェと閲覧室、1階がチケットとミュージアムショップ・情報コーナー等となっています。
1階から3階へと上がると正面に高知城天守が見えます!!高知城へ登る時
家康、秀吉にどう立ち向かう?結末へ!
こんにちは!hm384352です!
前回の記事で小牧・長久手の戦いの背景をお話しました。
羽柴秀吉と戦う大義名分を得た家康は越中の佐々成政、紀伊の雑賀・根来衆、関東の北条氏政、四国の長宗我部元親等に要請し「秀吉包囲網」を形成します。
包囲網を形成している天正12年(1584年)3月13日、それは家康が清洲城へと到着した日でした。織田家の譜代大名で清須会議では家康に味方したものの、その後の去就が
家康、武田軍との戦い!
こんにちは!hm384352です。
それでは前回の記事で紹介した高天神城を舞台に繰り広げられた高天神城の戦いについてです。
この戦いの時、家康は織田信長と同盟関係にありましたが、事実上は織田家の家臣の様な存在でした。そして、家康はこの戦いで信長に援軍要請を出していますが信長が直接合戦に手を出したわけではありません。
それでは合戦の始まりから見ていきましょう。
合戦の始まりは天正2年(1574年