楊柳生地 専門店 山城 note コラム

綿や麻を使ったプリーツ状の楊柳(ようりゅう)生地を使った、肌心地の良い商品を作るファク…

楊柳生地 専門店 山城 note コラム

綿や麻を使ったプリーツ状の楊柳(ようりゅう)生地を使った、肌心地の良い商品を作るファクトリーブランド。京都で創業70年を迎える、楊柳生地専門店 山城のnoteページ。コラムを掲載中。

マガジン

ストア

  • 商品の画像

    麻100% ちぢみ スタンドカラー ロング ブラウス ホワイト

    ※ネコポス便の指定不可商品となっております。 ※こちら商品の発送は京都店からのみとなります。 ■使用生地 / #06 近江麻 について - 最高級を纏う 近江麻100% - 伝統ある近江麻100%の生地にちぢみ加工を施した生地は、 上質の麻だけが魅せる光沢としっ...
    29,700円(税込)
    楊柳生地 専門店 山城 ネットショップ
  • 商品の画像

    麻100% ちぢみ スタンドカラー ロング ブラウス ペールイエロー

    ※ネコポス便の指定不可商品となっております。 ※こちら商品の発送は京都店からのみとなります。 ■使用生地 / #06 近江麻 について - 最高級を纏う 近江麻100% - 伝統ある近江麻100%の生地にちぢみ加工を施した生地は、 上質の麻だけが魅せる光沢としっ...
    29,700円(税込)
    楊柳生地 専門店 山城 ネットショップ

記事一覧

記憶を辿る65

『 最後の夏 』 退職してからだったか、退職前だったか覚えていない。 父親に家業を手伝いたいという話を初夏の事務所で伝えた。 「ほな、大分の工場からやな」 「へっ?!…

記憶を辿る64

『 貧乏人 』 スノーボードに明け暮れる日々を続けていた頃。 ある日、会社が使っていた配達用のバンを借りたことがあった。 社長が「毎週スノボーに行ってんにゃったら乗…

記憶を辿る47

『 米軍基地 』 怪しげな白人に連れられ到着したのは米軍基地。 仰々しいゲートを守る軍人が車内を覗き込み、彼のパスを見ながら話しかける。 私が躍起になって道中で行っ…

記憶を辿る62

『 残業 』 社長を筆頭に、私と事務員2人の少数精鋭部隊で回っていたこの会社、1人の事務員さんは膨大な量の経理担当、1人はその日の出荷予定の仕分けからラベル貼り、電…

記憶を辿る63

『 スノーボード 』 この頃、私はスノーボードにハマっていて、毎週末どこかのゲレンデに行っては車中泊をし、朝から夕方まで滑り倒していた。最後のお楽しみパターンは、…

記憶を辿る61

『 ギャルブームでギラギラ 』 この頃は浜崎あゆみ、モーニング娘。といった面々がTVを総なめしており、我々の頃はFineという雑誌から派生したサーファー系のギャルが主流…

記憶を辿る60

『 丁稚奉公 』 父は山城を手伝う前、大阪の繊維問屋で丁稚奉公をしていたそうだ。 小さい頃から、ことあるごとに話を聞いていた私は、何をするにも修行は必要だと考える…

記憶を辿る59

『 故郷への興味 』 長かったアメリカ生活に終止符を打ち、京都に戻ってからもまだ悶々とした生活を送っていたが、アメリカ各地で得た”京都”という都市のネームバリュー…

記憶を辿る58

『 黒歴史 』 アメリカ話とは前後するが、私の黒歴史をもう一つ。 63話の最終でも書いたが役者のオーディションがそれだ。 昼職と夜の掛け持ちバイトをしていたリハビリ…

記憶を辿る57

『 テナント探し 』 アメリカに着いてからずっと店舗探しも行っていた。 ユタは自然溢れる穏やかな街の中で開業できそうだったが、住んでいる人間があまりにも保守すぎて…

記憶を辿る56

『 ニューヨーク 』 キーウェストからマイアミに戻ってからは特に何もすることがなかった。 ホテルに巣食う謎の延泊者連中とも仲良くなり、スクエア状に置かれたソファ会…

記憶を辿る55

『 マッキイロ 』 静寂に包まれたキーウェストの公園。 今ある現実を直視した結果の野宿だった訳だが、予期せぬ事態はやはり面白い。この一夜も私にとって忘れられない夜…

記憶を辿る54

『 ハロウィン 』 この日の計画は朝イチでグレイハウンドバスを使ってキーウェストへ。 夕方の同じバスでマイアミのダウンタウンに戻るという計画。 バスに乗り込んでく…

記憶を辿る53

『 ピチピチビーチ 』 マイアミ国際空港には、湿気が多く汗ばむ夜に降り立った。 大西洋とメキシコ湾に囲まれるマイアミは、バハマやキューバ、アトランティス大陸が眠っ…

記憶を辿る52

『 アメリカの地 』 サンフランシスコ経由ソルトレイク行き。 関空から約10時間、サンフランシスコに降り立っただけで、新しく買ったスーツケースの車輪は取れていた。物…

記憶を辿る51

『 渡米 』 アメリカ行きを決めてからの行動は早かった。 学生だった時に英語評価が5だった訳はあるはずもない。 唯一続けていたのは”字幕なし映画を見る”事だけ。それ…

記憶を辿る65

記憶を辿る65

『 最後の夏 』

退職してからだったか、退職前だったか覚えていない。
父親に家業を手伝いたいという話を初夏の事務所で伝えた。

「ほな、大分の工場からやな」
「へっ?!」

小さい頃から大分の工場に行っていたとはいえ、業務内容を知っているはずもなかったから当然なのだが、京都の事務所で事務方として手伝うものだと考えていた私は驚きを隠せなかった。

当時はクレープ肌着の縫製委託のみで国東工場と武蔵工

もっとみる
記憶を辿る64

記憶を辿る64

『 貧乏人 』

スノーボードに明け暮れる日々を続けていた頃。
ある日、会社が使っていた配達用のバンを借りたことがあった。
社長が「毎週スノボーに行ってんにゃったら乗って行ったら?」
という好意的な気持ちに甘えたのだが、これが後に自身の転機へと繋がる波紋になるなんて、思いもよらなかった。

もちろん借り物であるから、慎重に運転し、給油も満タン、泥だらけになった車もきっちりと洗車後に返却した時のこと

もっとみる
記憶を辿る47

記憶を辿る47

『 米軍基地 』

怪しげな白人に連れられ到着したのは米軍基地。
仰々しいゲートを守る軍人が車内を覗き込み、彼のパスを見ながら話しかける。
私が躍起になって道中で行ったプロファイリングは検討外れに終わり、怪しげな白人の正体は、本土から来た軍人だと判明した。そうなると後ろで寝ている犬も、急に勇ましく思えてくるから不思議だ。

しかしこのパートで大切な登場人物である白人の名前を忘れてしまった(笑)

もっとみる
記憶を辿る62

記憶を辿る62

『 残業 』

社長を筆頭に、私と事務員2人の少数精鋭部隊で回っていたこの会社、1人の事務員さんは膨大な量の経理担当、1人はその日の出荷予定の仕分けからラベル貼り、電話番に出荷伝票の発行から備品の買い出し、客人へのお茶出しなど問答無用で何もかもが業務内容だった。

無論わたしも全てのパートを担うのが当たり前。
最後の出荷作業は20時あたりから社長も加わってくれたが、業務によっては不参加なこともあ

もっとみる
記憶を辿る63

記憶を辿る63

『 スノーボード 』

この頃、私はスノーボードにハマっていて、毎週末どこかのゲレンデに行っては車中泊をし、朝から夕方まで滑り倒していた。最後のお楽しみパターンは、京都に帰ってラーメン屋さんや焼肉屋さんに行ってから、お風呂屋さんをセットにするコースが楽しかった。

周りも同年代ばかりだから、皆が生業となるようなモノは決まりかけていたが、まだまだ遊びが優先。スノーボードに行き慣れた女子チームと一緒に

もっとみる
記憶を辿る61

記憶を辿る61

『 ギャルブームでギラギラ 』

この頃は浜崎あゆみ、モーニング娘。といった面々がTVを総なめしており、我々の頃はFineという雑誌から派生したサーファー系のギャルが主流だったのが、egg.というギャル雑誌が出始めてからは日本独自のギャル文化が街をジャックしていた。

当時を思い返せば、とにかく派手だったと思う。
派手さが若年化していく走りのような時代で、バブルの頃のようなスーツではなく、ラメ糸が

もっとみる
記憶を辿る60

記憶を辿る60

『 丁稚奉公 』

父は山城を手伝う前、大阪の繊維問屋で丁稚奉公をしていたそうだ。
小さい頃から、ことあるごとに話を聞いていた私は、何をするにも修行は必要だと考える癖がついてしまっており、ラーメン屋を志した時には製麺所からでなければいけない、和食の道に行くなら皿洗いからしなければいけないという根性が骨の髄まで染み渡っていた。
そんな時に投げかけられた元芸妓の言葉には目が覚めた。

「何してんのって

もっとみる
記憶を辿る59

記憶を辿る59

『 故郷への興味 』

長かったアメリカ生活に終止符を打ち、京都に戻ってからもまだ悶々とした生活を送っていたが、アメリカ各地で得た”京都”という都市のネームバリューは本物なのだ。
その京都で当時40数年継続して経営してきた山城に、少しずつ興味もが湧き始めた。

山城に入ったとして何が出来るのだろうかと。
そして京都のことを何も知らない自分に嫌気が差していた。

この頃の京都は、まだまだ金閣寺の絵が

もっとみる
記憶を辿る58

記憶を辿る58

『 黒歴史 』

アメリカ話とは前後するが、私の黒歴史をもう一つ。
63話の最終でも書いたが役者のオーディションがそれだ。

昼職と夜の掛け持ちバイトをしていたリハビリ期間中、自身が考えるポジティブヒーローだった頃の思い出を、一つ一つなぞるように行動しており、それまでにはない事に挑戦し、知らない世界に飛び込むようにしていた。
運が良かったのか面接官の思い違いだったのか(笑)

既に後輩の何人かは東

もっとみる
記憶を辿る57

記憶を辿る57

『 テナント探し 』

アメリカに着いてからずっと店舗探しも行っていた。
ユタは自然溢れる穏やかな街の中で開業できそうだったが、住んでいる人間があまりにも保守すぎて、極東エイジアンの細長い麺に動物臭のあるスープを入れた食べ物など受け入れられそうになかった。

マイアミでは口にする食べ物の多くが南米色が強い柑橘系でフィニッシュされている事が多く、試しに入った寿司屋で”イルカ”を出していた事もあり、食

もっとみる
記憶を辿る56

記憶を辿る56

『 ニューヨーク 』

キーウェストからマイアミに戻ってからは特に何もすることがなかった。

ホテルに巣食う謎の延泊者連中とも仲良くなり、スクエア状に置かれたソファ会議にも参加していたが、マイアミのダウンタウンや危険地帯の1人見学ツアーも終わっていた私は、日に日に何をしに来たのか分からなくなってきており、次の滞在地に移動するべき日が近づいているのを感じた。

同じ頃、極寒のニューヨークになる前にそ

もっとみる
記憶を辿る55

記憶を辿る55

『 マッキイロ 』

静寂に包まれたキーウェストの公園。
今ある現実を直視した結果の野宿だった訳だが、予期せぬ事態はやはり面白い。この一夜も私にとって忘れられない夜になった。

疲労困憊でもベンチに横になった私に睡魔は訪れない。
今では図太くなって、怪獣のような子供達のイビキサウンドに安心や幸福を感じ、予期せぬミッキーロークばりの猫パンチやキックを受けようともビクともしないようになったが、当時は時

もっとみる
記憶を辿る54

記憶を辿る54

『 ハロウィン 』

この日の計画は朝イチでグレイハウンドバスを使ってキーウェストへ。
夕方の同じバスでマイアミのダウンタウンに戻るという計画。

バスに乗り込んでくる多くの客は、私と同じようなバックパッカーのような薄汚れた者も多く、荷物を全く持たないユニセックスなパーティ軍団が何組か乗り込んでもいて、お世辞にも安心して乗れる交通機関ではなかった。
マイアミからキーウェストまでは約4時間。

途中

もっとみる
記憶を辿る53

記憶を辿る53

『 ピチピチビーチ 』

マイアミ国際空港には、湿気が多く汗ばむ夜に降り立った。
大西洋とメキシコ湾に囲まれるマイアミは、バハマやキューバ、アトランティス大陸が眠っていると言われる”バミューダ海域”がある熱帯地域だ。暑いのも当然である。

ソルトレイクでは秋の過ごしやすい時期だったから、同じ国内でこうも違うのかと思った。
それもそのはずで、ソルトレイクからマイアミへは約5時間のフライト。日本国内で

もっとみる
記憶を辿る52

記憶を辿る52

『 アメリカの地 』

サンフランシスコ経由ソルトレイク行き。
関空から約10時間、サンフランシスコに降り立っただけで、新しく買ったスーツケースの車輪は取れていた。物へのぞんざいな扱いに対して、これから起こり得るアメリカでの未来に、緊張と期待が膨れ上がった事を覚えている。
そこから約2時間ほどのフライトでソルトレイクに着くと、幼馴染のUが出迎えてくれた。
2002年の冬季オンリンピックが決定してか

もっとみる
記憶を辿る51

記憶を辿る51

『 渡米 』

アメリカ行きを決めてからの行動は早かった。
学生だった時に英語評価が5だった訳はあるはずもない。
唯一続けていたのは”字幕なし映画を見る”事だけ。それでも全く不安はなかった。むしろその事すら考えていなかったと思う。今思うと不安にならなかった理由は2つ。

自分自身が発露し、行動したからである。
誰かに委ねられていたら逃げ口実も生まれてくる。
それまでがネガティブに振り切っていたから

もっとみる