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「わたし」が「わたし」として生きる権利
先日、こちらのセミナーに参加して来ました。
息子のお迎え都合上、第一部のみしか
参加できませんでしたが、
その第一部を担当されていた板垣さん。
実は、ちょうど1年前くらいにお会いして
「とりあえず写真だけ撮っといてあげるわ」
とアテンドさんに言われて、
一緒に写真も撮っていました。
(お互い訳もわからず初対面でとりあえず写真を撮るという奇行。(笑))
板垣さんは、
岩手県にある「るんびにぃ
明治さん、ありがとう。
明治さんへ
「初めてメッセージを送ります。
先天性代謝異常症の息子を育てる母親です。
代謝異常により、ケトン食が必要なため、
ケトンフォーミュラを、
生後7ヶ月頃から飲んでいます。
発達が遅いことから、病院を受診し、
色々な検査をして、最終的には
難病告知をされ、付き添い入院をしながら
当時は、目が合わない、首が座らない、
自分でおもちゃを持つことも、
興味を示すこともほとんど無く、
初めて
「終わり」から考える。
「終わり」から考える
と、聞いた時は
?
と思いました。正直。
自分が最終的にどうなりたいのか
どういう姿でいたいのか
どういう気持ちで死にたいのか
誰しもが
明日、
今日、
もしかしたら、この後すぐ
人生を終えるかもしれない
いつ終わっても後悔のない
死ぬ時にそう思えたらいいな、と。
ネガティブに聞こえるかもしれません。
しかし、
今この時点で自分がやっていること
幸せだなあ、と感じること。
ハンデを持つ子の家族は
可哀想だ
とか
不幸だ
とか
わたし(たち)にはできない
など。
わたしは、言われたことがある。
でも
ハンデを持つ子の家族は
どこの家族とも変わらない幸せが
きっとあると思う
幸せの度合いを
比べるつもりはないのだけど。
先日、
ハンデを持つ子を育てるお母さんと
話す機会があった
「わたしたち、幸せだよね、
大変だけど、いろいろあるけど、
幸せだよね。」