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自己紹介 島の医者がなぜnoteをするのか
はじめまして!離島医療人物図鑑の小徳羅漢(ことくらかん)です!
この度、noteを始めてもう3年くらい経つのに、自己紹介もしていなかったのでさせていただきます!フォローして下さった方、読んでくださる方に本当にいつも感謝です。
目次
プロフィール〜なぜ離島で働くのか?〜
なぜ島の医者がnoteを書くのか?
僕が目指すライター像
プロフィール
小徳羅漢(ことくらかん)と言います!鹿児島県の奄美大
奄美暮らしの保健室メンバー紹介「クリニクラウン(臨床道化師)てっしょーさん」
てっしょーさんは50年以上前に、まだ男性看護師さんが日本にいない時に「看護師になりたい」と思いましたが、当時は認めてもらえず一度看護師の夢をあきらめ、東京で色んな仕事をしていました。
その後、やはり夢を諦めきれず看護師の資格をとり、奄美大島に帰ってきてからは奄美病院の精神科病棟や県病院の小児科病棟で風船アートやジャグリングをして患者さんや子供達を楽しませていました。
また、街中でも風船を配った
2024年1月の暮らしの保健室は「こたつで保健室」です。
こんにちは!奄美大島で産婦人科、総合診療科をしていますことくです!
1月からは救急医として救命センターで働いております。
高校生の時に憧れだったDr.ヘリに乗って、奄美群島を飛び回っております。
空から見る奄美大島は本当に息を呑むほど美しいです。
自分が苦手としてきた急性期やICUなどの集中治療について勉強し直しております。
聴診器とエコーだけで診断して、リュックサックに入るだけの医療機
日本に1年で取れる産科認定医制度を作る
先日、コロナ禍で全く参加できてなかった「日本産婦人科学会学術集会」に参加してきました!
コトクが最近ずーっとしている「へき地における出生率の低下と分娩施設の有無に関する研究」について発表してきました。
はじめての全国学会での発表は緊張しましたが、自分の大切に育ててきた子供の様な研究の成果を発表する機会だったので誇らしくもあり、会場の雰囲気から「世の中に必要なこと」と受け入れてもらえたのはうれし
お産がとれる家庭医までもう少し
おはようございます!!
コトクは今週末は大阪で産婦人科専門医試験でした。
五島列島で総合診療して、3ヶ月オーストラリアのへき地、離島医療の旅をしたので、2年同期たちから遅れて産婦人科専門医試験になりました。
でも、全然回り道とかじゃなくて、全てが繋がって今の自分がいるんだなあと感じています。
筆記試験は難しかったのですが、面接は周産期も腫瘍も不妊も内分泌どの分野も奄美大島でやってきたことだ
奄美大島で「お産がとれる家庭医」になるために産婦人科医をやめます
お知らせです。
約3年半産婦人科医として働かせていただきました。
4月からはもともとの目標だった「お産がとれる家庭医 rural GP obstetrician」になるために、このまま鹿児島県立大島病院での総合診療プログラムに進みます。
ただ、やり残した宿泊型の産後ケアや産婦人科オンラインの導入などのプロジェクトもあるため
これからも、奄美の周産期を裏方として支え続けたいと思います。
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宇宙飛行士試験に落ちました〜究極のへき地医療は宇宙医療だ〜
こんにちは!奄美大島でお産がとれる家庭医(へき地総合診療医)を目指して修行中のことくと申します!
表題にある通り、ことくは宇宙飛行士試験に落ちました。
落ちるどころか、書類審査で箸にも棒にも引っ掛かりませんでした。
なんとなく最近気持ちの整理がついたため記事を書いておこうと思いました。
そもそも何で離島の産婦人科医が宇宙を目指すのか?
単純に宇宙が魅力的すぎるからです。
だって、このポ
かつての「とりあげ婆さん」から学ぶ「お産がとれる家庭医」への道〜離島に産声を戻すには〜
90歳の入院しているお婆ちゃんが赤ちゃんが生まれると「おや、赤ちゃんの声が聞こえるね。男の子かな?」といつも赤ちゃんの声に耳を澄ませていました。
看護師さんが「遠いのに、よく聞こえますね!?」と聞くと
「私もね、近所の子供とか、息子、親戚の子を取り上げてたのよ」
「あら、産婆さんだったんですか?」
「いんや、あの頃は産婆さんに払うお金もなかったから、地域のお産は地元の私たちみたいなのがとっ