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音楽を作るために考えていること

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#暮らし

波風が嫌い!

波風が嫌いなのだが吹き込む。波は大荒れ、風は大荒れ。

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意味が無くても有る

意味が無くても有る



曲を書いた。ギターの音色はもう一色だ。クリーンすら無い。全て同じアンプ設定、ギター1本。堂々と。「これを一人で作っているんだなぁこいつは。ベースもドラムも」と想像してみてほしい。相当泣ける。

こころがイカレるといくらでもメロディにたどり着ける。よく降りてくる、という表現があるが、そういうものはない。なんというか目的地はあるのだ。作曲とか作詞とかいうもは出だしがゼロだから錯覚しそうになるが、行

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情緒不安定の塞ぎ方。

情緒不安定の塞ぎ方。

情緒が不安定なことがある。呼吸をしているから。

僕はもともと躁鬱というか、双極性をやっていたし、浮き沈みがキツイといううっとおしさを持っている。

躁のときは無事じゃ済まない行動をしてしまうし、鬱のときは予定を簡単に投げ出してしまう。

極端に振れるとどっちにせよ悪い。躁は危なっかしいし、鬱は何もできなくなってしまう。

今も昔もポップソングを書いているので、内容が支離滅裂なものや、幽霊が出てき

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迷惑ってほんとに迷惑なのか

インドには「ごめんなさい」という言葉が無いそうだ。
なんでも「すべてがお互いさまだから」だという。

想像はしていたが、あの国はやはりかなりぶっちぎれていて、日本とはずいぶんと感覚が違う。

日本では「迷惑をかけてはいけませんよ」が美徳とされているが、インドでは「みんな生きてる限りはお互いさま」だというのだ。

「生きているかぎり、面倒をかけるし迷惑もかける。ひとに迷惑をかけないで生きるなんて無理

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コミュニケーション!

コミュニケーション!

「コミュニケーション能力とは何ぞや?」という問いがあったら答えられるだろうか。

ウェイウェイ騒げたり、誰かれかまわず仲良くできる能力はコミュニケーション能力なのだろうか。

じつはそうとは言い難いんじゃないだろうか。

学生の指す「コミュニケーション能力」と社会で使う「コミュニケーション能力」には大きな違いがあると感じている。

ではコミュニケーションの本質はなんだろう。

核となる技術がある。

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キレられたとき

キレられたことのないひとはいない。

人間は誰かを怒らせながら生きていく生き物だ。

でもキツイ。

やはりキレをくらうと、ダメージがある。このダメージをなんとか軽減できないだろうかと思った。

心理学に「課題の分離」という考え方がある。

「他者が自分をどう思うのか」
「他者が自分にどういう評価を下すのか」

このふたつはとにかく気になってしまう。人間だからしかたない。
他者に尊重されたら嬉しい

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長距離走でも短距離走でもなく

生きるって競争に例えられがちだ。「長距離走だ!」とか「いや、短距離走だ!」とか言うひとがいる。

上手いこと言うつもりもないが、僕は借り物競走と障害物競争だと思っている。

とにかく、みんながあたりまえに越えていくハードルにあらかた引っかかってきた。キツイ半生だった。

みんながピョンピョン跳んでいくところをコケつくした。だけどそれを乗り越えてなんとかまだリタイヤしていないのは、借り物競走が上手か

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ボーカルの彼女が口出ししたバンドの話

ボーカルの彼女が口出ししたバンドの話

孔子の言葉に「その地位にいるのでなければ、その政務に口出ししてはならない」というものがある。

簡単に言うと「素人がプロに口出しすんなよ」という意味だと思う。
まぁ分かる。これはけっこう口を出されたら嫌だし、出さないようにしている。

ボーカルの彼女がスタッフをしているバンドがある。
これ自体は問題ないのだが、政務に口を出し始めるとキツくなる。

ボーカルの彼女が「もっとドラムの手数増やしなさいよ

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キツイ暮らしを担ぐにあたって

キツイ暮らしを担ぐにあたって

生きてると「予想だにしない出来事」がドッサリある。だけど想定外のたびにショックで、「いやん」と自殺していたら、命がいくらあってもキリが無い。

それでもなんとかやっていくにはどうすればいいのだろう。
僕は「人生はべつに楽しくもなんともないもの」という思い込みを作るようにしていた。たぶん10代の半ばぐらいで、「筋トレみたいなもの」というふうに感じていた。

「そもそも濁流の中に放り込まれている」と考

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