Sachiko

高校1年生の夏休み、アルバイト先での事故で、利き手であった右指3本を切り落としました。…

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高校1年生の夏休み、アルバイト先での事故で、利き手であった右指3本を切り落としました。それまでわがままいっぱいに育ってきた私の、波乱万丈な人生が始まりました。週1回の更新を目標にしています。noteははじめてなのでわからないことだらけ。ご教示、応援おねがいします。

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浮世渡らば豆腐で渡れ(5) 姉妹の暮らし

姉いもうと   わたしはからだが小さく弱かったが、癇癪持ちで気は強かった。  幼いころ、父が買ってきてくれたミルク飲み人形が気に入らないといって、「こんなのほしく…

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1年前
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浮世渡らば豆腐で渡れ(4)  家は広かれ、心も広かれ

 父、増築を決める   一年もたつと、豆腐屋の商売は少しずつ軌道に乗っていった。そんな中での長屋暮らしは、個性あふれる近所の住人たちに囲まれ、まれに珍妙な出来事…

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1年前
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浮世渡らば豆腐で渡れ(3) わが家の暮らし

わが家の暮らし もちはもち屋、豆腐は豆腐屋で  波乱万丈なすべり出しの藤井豆腐店だったが、ご贔屓のみなさんや、京田さんのような人徳者の助けもあって、その後は、ほ…

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1年前
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浮世渡らば豆腐で渡れ(2) 恩人と盗人

恩人と盗人 父、駆ける 
  大豆屋のおじさんが集金せずに帰っていくと、父は狸寝入りしていた布団から、ガバッと跳ね起き、身支度もそこそこに店を飛び出した。  その…

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1年前
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浮世渡らば豆腐で渡れ(1)   藤井豆腐店の1日

豆腐の仕込みは重労働 豆腐屋の仕事は、朝早く始まる。 開業当初、父と母は、午前2時には、寝床から起き出していたものだ。 年月がめぐり、豆腐づくりの機械で作業の手間…

Sachiko
1年前
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四軒長屋(4)  路地裏の学び舎

赤ワインがおくすり  6歳の春、わたしは小学校へあがった。  東富山町の自宅から、海に向かって15分ほど歩くと、わたしの通う大広田小学校があった。2学年上には姉が…

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1年前

四軒長屋(3) 東富山の家

高度成長の富山市へ  富山湾沿岸とほぼ並行に東西に走る「あいの風とやま鉄道」。  かつてはこの鉄路を、北陸本線の列車が通っていた。  いまも、沿線には、昭和レトロ…

Sachiko
1年前

四軒長屋(2) 父、会社員への転身

工場とパチンコ  立山町から滑川市へ引っ越したわたしたちは、その後、父が勤める会社の社宅に住まいを移した。末っ子の弟が生まれたのもこのころだ。  伊達なペンキ職…

Sachiko
1年前
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四軒長屋(1) 父と母

米雄ときくい  わたしは、昭和23年(1948)5月1日、富山県立山町五百石で父米雄(旧姓高城・大正10年生まれ)、母きくい(旧姓中川・同13年生まれ)の次女と…

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1年前
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プロローグ

事故 「機械止めて!」  あっ、と思うひまもなかった。  とてつもなく強い力で、機械が、わたしの右手を引きずり込んだ。  それと同時に、指先の感覚がすべて消えてし…

Sachiko
1年前
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浮世渡らば豆腐で渡れ(5) 姉妹の暮らし

浮世渡らば豆腐で渡れ(5) 姉妹の暮らし

姉いもうと 
 わたしはからだが小さく弱かったが、癇癪持ちで気は強かった。
 幼いころ、父が買ってきてくれたミルク飲み人形が気に入らないといって、「こんなのほしくなかった」と、地団駄を踏んであばれたこともある。
 学校で使うお道具を探していたときなどは、忙しくしている母に横柄な態度を取って、父から横っ面を張り倒されたこともある。父は店の土間で豆腐を作っていたが、長靴を履いたままの土足で畳の仏間に駆

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浮世渡らば豆腐で渡れ(4)  家は広かれ、心も広かれ

浮世渡らば豆腐で渡れ(4)  家は広かれ、心も広かれ

 父、増築を決める
  一年もたつと、豆腐屋の商売は少しずつ軌道に乗っていった。そんな中での長屋暮らしは、個性あふれる近所の住人たちに囲まれ、まれに珍妙な出来事に遭遇した。

 ある日、長屋の小さな庭で、父が丹念に育てていた盆栽が、いつの間にか見えなくなり、家族で探し回ることがあった。しばらくすると、なくなったものと同じ盆栽が、ご近所の、とある家の下駄箱の上に載っていたと言って、母が驚いて帰ってき

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浮世渡らば豆腐で渡れ(3)  わが家の暮らし

浮世渡らば豆腐で渡れ(3) わが家の暮らし

わが家の暮らし
もちはもち屋、豆腐は豆腐屋で

 波乱万丈なすべり出しの藤井豆腐店だったが、ご贔屓のみなさんや、京田さんのような人徳者の助けもあって、その後は、ほぼ順調に、軌道に乗っていった。

 藤井の豆腐は、一度食べれば味の良さが分かり、お客さんからは何度でも買ってもらえた。いまも当時も、東富山は大企業の工場が近くにあり、わが家が売店に納入することもあれば、勤め帰りのお客さんが立ち寄ってくれる

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浮世渡らば豆腐で渡れ(2)  恩人と盗人

浮世渡らば豆腐で渡れ(2) 恩人と盗人

恩人と盗人
父、駆ける


 大豆屋のおじさんが集金せずに帰っていくと、父は狸寝入りしていた布団から、ガバッと跳ね起き、身支度もそこそこに店を飛び出した。
 その日は土曜日、午後からは銀行も休みだ。急がねばならない。
 父は駆け回った。
 銀行からお金を借りるには保証人が必要だ。しかし滑川から越してきたばかりの、開業して三月も経たない無名の父の、保証人に誰がなるというのか。

 それでも父は、

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浮世渡らば豆腐で渡れ(1)    藤井豆腐店の1日

浮世渡らば豆腐で渡れ(1)   藤井豆腐店の1日

豆腐の仕込みは重労働

豆腐屋の仕事は、朝早く始まる。
開業当初、父と母は、午前2時には、寝床から起き出していたものだ。
年月がめぐり、豆腐づくりの機械で作業の手間を省けるようになると、ふたりの起床時間は、午前3時、そして4時へと遅くなりはしたものの、朝から晩まで働き詰めなのは、引退するまで変わらなかった。

夜明け前から、それぞれ仕事を分担し、開店に備えた。豆腐づくりは、もっぱら父の役割。そのほ

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四軒長屋(4)  路地裏の学び舎

四軒長屋(4)  路地裏の学び舎

赤ワインがおくすり

 6歳の春、わたしは小学校へあがった。
 東富山町の自宅から、海に向かって15分ほど歩くと、わたしの通う大広田小学校があった。2学年上には姉がいたので、なかよく一緒に通った。

 姉は、滑川から転校してきて、友だちもできない早々のうちに、家が豆腐店だとどうして知られたのか、
 「豆腐(とっぺ)くさい」
と同級生から、いじめられていたようだった。
 おっとりとして心の優しい姉は

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四軒長屋(3) 東富山の家

四軒長屋(3) 東富山の家

高度成長の富山市へ
 富山湾沿岸とほぼ並行に東西に走る「あいの風とやま鉄道」。
 かつてはこの鉄路を、北陸本線の列車が通っていた。
 いまも、沿線には、昭和レトロと言っていいような、木造の駅舎が残っている。
 富山駅の東隣りにある、東富山駅もそのうちのひとつだ。
 東富山駅があるあたりは、東富山寿町。みんな昔から「東富山町」と呼んでいた。

 父と母、2歳上の姉・佳美、5歳下の弟・稔、そしてわたし

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四軒長屋(2) 父、会社員への転身

四軒長屋(2) 父、会社員への転身

工場とパチンコ
 立山町から滑川市へ引っ越したわたしたちは、その後、父が勤める会社の社宅に住まいを移した。末っ子の弟が生まれたのもこのころだ。

 伊達なペンキ職人から、一般企業の工場勤務へ。
 洋服を着て仕事に通う父も、幼いわたしの目には、だれよりも男らしく格好良く映った。

 会社での父は、仕事の業績がかなり高く、上司や客先から頼りにされ、同僚たちからも大いに慕われていたようだ。周囲から将来を

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四軒長屋(1) 父と母

四軒長屋(1) 父と母

米雄ときくい

 わたしは、昭和23年(1948)5月1日、富山県立山町五百石で父米雄(旧姓高城・大正10年生まれ)、母きくい(旧姓中川・同13年生まれ)の次女として、生まれた。

 ものごころがついた頃は、滑川の借家で暮らした。やがて父が商売替えをして、富山市へ移った。
 もともとは不二越が所有していたという四軒長屋の一軒を、安く買い取ったのだ。戦前からの建物で、当時でも相当古く感じたものだ。

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プロローグ

プロローグ

事故

「機械止めて!」
 あっ、と思うひまもなかった。
 とてつもなく強い力で、機械が、わたしの右手を引きずり込んだ。
 それと同時に、指先の感覚がすべて消えてしまった。

 わたし以外、何が起こっているのか誰もわからなかった。
 理解したあとは、気が動転したのか、何もしようとしなかった。
 誰もが呆然としてその場を動かなかった。

「建屋の外のスイッチを切って!」
悲鳴に近い声で叫んだ。
正気

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