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あの時の「信じる」の意味を考えた
「信じているよ。」と心から感じて伝えたくなったあの時。
でも何を感じて、何を信じているのかが言葉にならなかった。
言葉にすると陳腐にならないかという不安もあるけれど言葉にしなければ、この思いがなかったのと同じになってしまいそうで。
だから、言葉にしてみたいと思っています。
よし、まずは検索だ!
検索欄topに出てきたのは、
創価大学理工学部『人間学研究(7)〜人間にとって「信じる」とは何か』
コーチとだから呪縛と向き合えた
HUNTER×HUNTER観たことあるだろうか?
主人公の親友のキルアが兄の呪縛の針を剥ぎ取るシーン。
私の中にも呪縛がある。
キルアのように呪縛と向き合う機会をコーチングセッションを通して得たので、ここに、今の気持ちと感動と感謝を残しておきたい。
対象は母。
否定されている、受け入れられていないと感じるとつい母に突っかかってしまう。母はそんなつもりは微塵も無いのだ。けれど、私が前に進もうとす
NoということとYesということ
Noということに物凄い価値を感じた出来事があったので言葉にしてみたいと思う。
これまでの価値観はと言うと、
昔、イエスマンという映画を観たことがある。
その時感じたのは、「Yesと答えることで人生が良くなるんだ!」ってことと
「本当にそうなのかな?」という疑問だった。
単純な私には、Yes=Goodなこと そんな印象がついた。
そんな私の生育歴はというと母親のいうことをよく聞く子に育ってい
ありのままを受け止める
何度も何度も同じ失敗を繰り返していて
ちっとも成長しないじゃないか
また、同じこと起こしてるよ
こうやって自分をジャッジして責めてしまう
けれど、この状態の自分なんて好きじゃない
責めている自分、責めている自分を責めている自分
「私は、本当はどうしたいの?」
一番言われて嬉しい言葉は「そばにいてくれてありがとう」
自分自身が自分の側にいなかったんだと思った
成長してないって、変わって
子どもの私と大人の私を一致させる
私の中には、大人の自分と子どもの自分がいる。
大人の自分は、
常識では〜とか
生活するために〜とか
普通は〜とか
言い換えれば理性的な自分だ。
子どもの自分とは、
本当は〜したいとか
わくわくする!とか
無邪気な自分のこと。
私の中には、大人の自分と子どもの自分がいる。
決して二重人格という話ではありません。
例えば、教員を辞めるか考えていた時のこと。
大人の自分は、こう言います。
「
お金のブロックを外す
日付が変わっての更新となってしまった。
寝る前までに投稿してるから、セーフ、セーフ。
今日同僚から
「転職して給料下がったら、精神的にキツくなる」
という話を聞いた。
それを聞いた始めの印象は、
「確かにそうかも!」
数えればキリがないくらいの思い出の数々。
預金残高がギリギリになった時の
焦燥感と心臓が握られるような感覚。
でも今の自分にはその感覚を少し手放せたようなので
なぜ手放せたの
はじめはゆるりと
ドキッとしました。
どうしてもスタートダッシュしてしまうのです。
私の場合、心の中にいた自分責めするモンスターがむくむくと出てきて
どうしてもこれまでの自分を変えたいって張り切ってしまうのです。
そうそう、のんびりやりましょう。
高倉さん、気づきをありがとうございます。
継続チャレンジからから見えた心のブロック
継続チャレンジ1日目
このnoteの更新をしていると言うことは、①は達成!
いいぞ、自分。
②次はセッションである。
誰かにこのチャレンジを話したわけではないから、
自分から発信していないと、誰かから声をかけられる可能性はそんなに高くない。
と言うことで、今日は連絡を取るところから始まる。
久々に話せるの楽しいよね〜!!!
今後は、草の根作戦からステップアップしたいと思っている。
例えば
1年間の自分を褒めちぎります。
10月に入りました。
コーチングを始めてから約1年。
大きな変化を感じています。
今、また、乗り越えたい山が目の前にあって
自分を応援するためにも、1年間を振り返っていきたいと思います。
目の前の仕事をやり切った!
ずっとなりたかった教員。教員という仕事の尊さを実感した。
本当に先生として子供たちと時間を共有できて嬉しかった。
反面、自分や大切な人たちをもっと大切にしたいって想いが強くなった