記事一覧
『亡き人の思い出』を語り合っていたら、いつのまにか「いまをどう生きるか」を考えていた。
初めての試み、オンラインでの死別体験者の集い 『Remembering Lost Souls ー亡き人の思い出と過ごす時間』 を本日開催しました。 https://omoid1.peatix.com/ 私自身、死…
えーと、この数年の間に、開業して廃業しました!
不甲斐ないですがチャレンジに後悔はありません。
話せば長くなりますが…いつか何か話したくなるかな?
とりあえず、文章を書いて出したいので、投稿再開します。
訪問看護の開設地が自由が丘に変更になりました!
先日、大田区雪谷大塚での訪問看護ステーションを立ち上げる、とお知らせしましたが、開設地が目黒区自由が丘に変更になりました。
世田谷区・大田区にも隣接する地域で、買い物などで賑わうエリアと落ち着いた住宅街の広がる、大好きな場所です。
このエリアは自転車でどこを走っていても公園やお庭に緑がモコモコと茂っていて、北海道の自然あふれるど田舎で育った私にとっては、木や緑に力をもらえるような心地よい場所で
『亡き人の思い出』を語り合っていたら、いつのまにか「いまをどう生きるか」を考えていた。
初めての試み、オンラインでの死別体験者の集い
『Remembering Lost Souls ー亡き人の思い出と過ごす時間』
を本日開催しました。
https://omoid1.peatix.com/
私自身、死別体験者のサポートグループの運営は初めて、また一人で主催するイベントも初めてということで緊張しましたが、
参加してくださった皆さんの穏やかで正直な存在感の中で、安心して「弱い自分」「傷つ
お墓参りは、亡き人と対話する時間。
一年ぶりのお墓参りに、地元北海道の興部(おこっぺ)町に行ってきた。
今年2月の一周忌はコロナウィルス感染が広がり始めた頃で参加を取りやめたから、興部に行くのは実家を手放した昨年9月以来だ。
実家を売却する時も体調を崩してしまったし、2月の一周忌の前にも実は具合の悪さを感じていた。
元気で普通に戻った顔を見せなければいけない、という無言のプレッシャーの中に行く自信がなかった。
コロナ流行は参加取り
東洋経済オンラインで、デスカフェを取り上げていただきました。
何かの悲しいきっかけで死について考えざるを得なくなった人々が、安全に人とつながれる場としてのデスカフェは、社会にとって必要なインフラの一つだと考えています。
今日の楽しかった訪問看護
訪問看護という仕事をしています。
2月から新しい職場に入り、のびのびと仕事をさせてくれる環境で、改めて看護させていただく喜びを感じています。
私は、LIFEをゆたかにする仕事をしたいと思ってやっています。
LIFE =生命、生活、人生
生命力を輝かせると、生活も、人生までもが輝きます。
どのレベルでも、いのちがきらきらと輝きだす瞬間に立ち会うことが私の幸せです。
1件目:数か月前から寝たき
そこにあって当たり前の美しさ
奄美大島に3年間住んでいたことがあります。
すばらしい島であることは言わずもがな、なのですが、よく感じたのは
「ゆたかな島」という印象でした。
決して経済的に豊かな島ではないのですが、海があり、緑があり、そして人の結びつきが濃厚でした。
集落ごとに季節の行事や儀式が多くあって、地域の運動会には大人も子供もお年寄りもはりきって参加します。
飲み会といえば地域の公民館、赤ちゃんからおじいおばあ
オンラインでのデスカフェ、月1回ペースで続けます
【Death and Life Dialogue】
死といのちの対話と題して、ふだんは話しづらい死を含む話題を気兼ねなく話せる場をオンラインで立ち上げます。
Life という英語には人生、生活、生命という三つの意味が含まれます。
「すべてのいのちは死とつながっている」
この当たり前の真実を見つめながら語るとき、わたしたちは自分自身の中に何を見るのでしょうか。
語ることとともに
はじめてのオンライン・デスカフェ
4月11日(土)はじめてのオンラインデスカフェを終えて、放心状態…。
「対話することで新しい風景が見える」
という感想を寄せてくださった方がいて、感激。
なぜなら、デスカフェを始める企画段階で、
終わった後にどんな風に感じてもらいたいか?という問いに
「世界がちょっとだけ変わってみえる」感じと答えていたから。
自分の経験していないことでも、新しいものに触れて、ちょっと
オンラインのデスカフェやります
「問題は人をつなぐ。答えは人を分断する」問いを深め合う会に。
これは、2月に実施した初回のデスカフェ開催報告を受けて、坐禅の師である藤田一照さんより頂いた言葉です。
この言葉を大切に、死について問い続け、対話し続けるゆるやかなつながりを、丁寧に紡いでいきたいと願っています。
前回開催したデスカフェの報告はこちら。
今の状況だからこそいのちについて答えのない問いを深める機会を持つことは重要と
私の見た死 1. 貫いた人
訪問看護師として働いていたときのこと。
連携先の病院から紹介があり、
「初診で運ばれてきた時には、
すでに末期がんの疑いが濃厚だけれど、
全ての検査を拒否されたため、
自宅退院することになった」
とのこと。
紹介者の病院側としては、
検査も治療も「拒否」する手ごわい患者さん、として
とらえていることがありありと伝わってきます。
それも当然です。
医療者は、基本的には
「病気を治したい人
《私の死はまだ見たことがない》
いま、森美術館で、
『塩田千春展:魂がふるえる』
が開催されている。
私の好きな美術家、会田誠がTwitterで紹介していたので
開幕翌日に見に行った。
(赤い糸で空間を覆った、印象的な写真のインスタレーションは
《不確かな旅》)
展示の中で興味をひかれた作品が
過去のインスタレーション、
《私の死はまだ見たことがない》
だった。
過去のインスタレーションを写真とキャプションで紹介する