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【エッセイ】私の哲学観、私の生き方
「分からないけど、分かりたい」
私にとっての哲学はそういう存在。現象の根源へ。分からないからといって投げ出さず、分りたいという好奇心をかき立てられるもの。私の興味の趣くままに。分かったような氣になることもある。だが、それはあくまでも仮固定。最終的な結論ではない。それだけ、哲学は奥が深い。いつも未知の謎が残る。哲学にも流行がある。そのときは流行っていても、時代とともに廃れることがある。それでも、
【読後感】廣松渉『世界の共同主観的存在構造』(岩波文庫)
本書は廣松渉の主著の一つ。人間を「共同主観的存在」と見る立場から、認識論の乗り越えと再生を目指した廣松哲学。1972年に書かれた。彼は戦後日本を代表する哲学者の一人。
本書は大きく前半と後半に分かれる。その前半は、「主観ー客観」図式の閉塞感から始まり、認識論の現象的世界、言語的世界、歴史的世界へと辿ってゆく。
後半は、共同主観性に触れ、判断の認識論的立場、デュルケーム倫理学説の批判的継承、と