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ちょいと強めの繊細さんだったらしい。
#繊細さん
#HSP
最近何かと耳にするようになった。
まぁ自分もちょっぴり
繊細な部分、ナイーブな部分、
持ち合わせてるなぁ、くらいには思ってた。
youtube大学 の繊細さんシリーズを見て
あぁ当てはまる部分もあるなぁ。と、
今考えれば、心のどこかで
自分なんかが完全に当てはまるのはおこがましい
とでも思っていたのかもしれない。
だって、繊細さんとはいわば、
感受性の鬼(いい
ラストマンが教えてくれる輝く生き方
ラストマン全盲捜査官【解釈動画】をまとめてみた
相反するバディが魅せる物語
事実に向き合うことで見えた残酷で温かい真実を描くストーリー
皆実(福山さん演じる役):新時代にぴったりの価値観を持ち、堂々と生きている
心太朗(大泉さん演じる役):これまでの日本人の感覚を持ち、葛藤を抱え生きている
物語を牽引していく皆実の人柄
目が見えないからこそ視覚以外の感覚が研ぎ澄まされ、超人的なスキルを持つ
君たちはどう生きるか
人生の答え合わせ
まず初めに、
この映画はジブリ作品、宮崎駿監督の最新作にして原点であり、総集編であると感じた。
宮崎駿自身の自叙伝的な物語と言われるだけあって、宮崎駿という人間が描きたかった世界が、いや見えていた世界が、ありありと広がっていた。
私はこの作品に出会えたことで宮崎駿という人間と相対することが出来た気がした。
そして彼をさらに敬愛した。
同類の映画ジャンルとしては
千と千尋の
永遠が存在しないのは、全てが永遠の無になってしまうからだ。
映画語り『生きる-LIVING-』
映画語り⇒映画を通し私に見えた世界を語る
『生きる』から私が見た世界であり、
私の解釈を記録しています。
語り音声ver.はYouTubeにて
後日公開いたします!
それでは、本編をお楽しみください♪
不朽の名作がイギリスを舞台に
いま、よみがえる
今のカタチに変わることで、今の人が見るきっかけになる不朽の名作にこそ、今の命を吹き込むことが"生きる"そのものなのかもしれない…
イギリスで
おばあちゃんへの手紙 エピローグ05
「朝ごはん出来ていますよ。」
「ああ、おはよう。ありがとう。今行くね。」
と答えながら、ふと思いついて質問を重ねた。
「そういえば、今日の朝起きる時、
何か夢を見てなかったかな?」
どうにも私はついさっきまで
一緒にいたような気がしてならない。
「夢ですか…」
愛は考えるように宙を見上げ
顎に手を当てる仕草をしてみせた。
その時である、
「あっ!」
私は思わず声をあげ、その手を指差
おばあちゃんへの手紙 エピローグ04
「最後のここの文字は
パパさんの文字ではないですね。」
「えっ。」
慌ててその文字に目を落とす。
私の手紙の末尾に記されたその一文には、
こう書かれていた。
“追伸、この手紙は私の誇り。
たくさんのありがとうをありがとう。
愛さん、
悟を選んでくれてありがとう。
悟をよろしくお願いしますね。
引き出しの中のもの、もらってください。
これで心置きなく旅立てます。”
2人して、それは号泣の
おばあちゃんへの手紙 エピローグ03
大きく目を見開いて私の顔を見返してきた。
なんと
そこに書き記されている文字は、
見飽きるほど見慣れた私の文字だった。
しかも
書いてある内容を読めば、
まさしく
あの夢の後
おばあちゃんへの返事を書き、
仏壇に供えた、
あの手紙そのものだった。
「ありがとう、ありがとう。」と幾度となく
書き連ねられたエピソードたち。
「ごめんね、ごめんね、ごめんなさい。」と
謝り続ける思い。
そ
おばあちゃんへの手紙 エピローグ02
中はがらんとして何もなく静かだった。
しかし、
間違いなくその頃の家であり、
おばちゃんの供養の旅が
始まるきっかけとなった。
夢に出てきた家だ。
ただその時は、
中から若返ったおばあちゃんが出てきたり、
母と夕食の支度をしていたりと、
何かと慌ただしかったのだが、
今回は静まり返っていた。
それどころか
家具も調度品も一切なく、
ただがらんとした家の中の
空間が広がるばかりだった。
おばあちゃんへの手紙 エピローグ01
夢を見た。
辺り一面夕焼けに染まっている。
どこか見覚えのあるような
懐かしさを感じる街の中だ。
隣には我が愛する細君がいて、
一緒に歩いている。
ふと私は気づいた。
これは夢だな、と。
夢を夢と気づいて見るものを
明晰夢というそうだが、
その類いのものだろう。
好奇心が湧いて、
隣の愛に確かめてみた。
「これ、きっと夢だよね。」
「うん、そうかもしれないね。」
あっけらかんとし
おばあちゃんへの手紙 最終章-2
近づくにつれ、
この旅で何度も唱えてきた般若心経が、
ずっしりとした音量で腹に響いてくる。
ふと木々の間から、
見下ろすように開けた場所が見えてきた。
さらに近づいてみると、
そこで四隅を結界のように仕切った中、
薪が積み上げられ轟々と炎が燃え上がっている。
その結界の外を取り囲むように
法螺貝を首から下げた
山伏らしき修験者が数人、
手には太い数珠を爪繰りながら、
また時にこすり合わせ
おばあちゃんへの手紙 最終章
最終日、ついに最後のお寺である。
八十八番札所、大窪寺を迎えた。
4年がかりとはいえ、
本当に88もの寺院を
小さな子供たちを連れて
家族で周りきれるなんて、
正直思ってもみなかった。
目標は結願としても、
やれるところまでやってタイムアップでも、
仕方ない。
それで良き思い出になるだろう。
そんな軽い気持ちで始めた。
それよりも大切なことは、
おばあちゃんの夢から始まったこの流れを
おばあちゃんへの手紙 16-2
そう言いかけると、
こちらを振り向いていた職員の方々が
全員立ち上がり、
私たち家族に合掌し、
「おかえりなさい」と微笑みかけてくれた。
少林寺拳法では、
拳士が本山に行くのではなく、
帰る“帰山”と表現する。
故に本山にいる者は、
訪れた拳士に対して、“おかえりなさい”と迎える。
知ってはいたが、
いざ現実に経験すると、とても不思議な感じで、
それでいて何か温かいものに包まれるような、
おばあちゃんへの手紙 16-1
その後も順調に歩を進め、
七十七番札所道隆寺を訪れたところで、
子供たちと修練している、
少林寺拳法の総本山を
見学しに行こうということになった。
開祖、宗道臣が
戦争で体験した辛い経験を踏まえ、
「力の伴わない愛は無力、愛の伴わない力は暴力」
「人づくりによる国づくり」の理念をもとに、
しっかりとした力と愛を持った若者を、
敗戦から復興していく日本を
導くリーダーとして育てよう、
ひいて