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本読むだけでやりたいこと見つかる訳ないので大人の児童館へ通いました。

※自分用の記録の為目次とかないです。お許しを。

・このnoteを読めば!
・以前の私は●●で今では…
・月収100万円をコンテンツ販売で…

って書いてるnoteが胡麻臭い…


ちょっと怖い。


私がnote始めた2年前は
みんなの日記を見れるようなそんな
雑ブログの場所だったのに
いつからか胡麻臭いヘッダーの
アカウントやら記事やら増えて
というか中身すっからかんのnote
本当に増えた。(毎日投稿してるの楽しいんかしら...)

別にnoteに限らずインスタもTwitter(X)も
YouTubeも。

娯楽のツールだったのに
訳分からんの投稿できたのに
いつの間にか目的とか意味とかを明確にして
投稿、じゃなくて"運用"って言う輩増えて。

なんかそういう波に結局飲まれてしまうの
なにこれ。


誰が悪いとかあんたが悪いとか言いたいのではなく
あらゆることに意味を持たされるのは
歳を重ねる上で仕方がないことで
例えば小学校の時は図工の時間に描いた
へんてこりんな絵でも世界児童画展で表彰されるし
歯磨きがんばったら良い歯のコンクールで
表彰式もあったり。
(私は虫歯だらけで行ったことない)

それが中学に上がると
中間テストと期末テストと
あと塾のテストに一機入魂することになって。

部活?もあるけどあれ受験になると引退させられるから
なんか違う。大学受験に必要ないから、で片づけられる部類。

高3冬でも陸上、野球をやってた子いたけど
それが大学推薦に繋がるからできていた気もする。

そんで何が言いたいかと言うと、

無意味な意味ある行動ができるのは
小学校のおこちゃままで。

そしてその無意味な行動が自分の人生から
一切なくなってしまうとどうなるか。

社会人になったときの土日の娯楽が
本当になくなってしまう。

これ私。

そんでストレスの発散方法も分からなくて
趣味もなくて。
仕事が生きがいの人間が出来上がって。

土日に塾行って受験勉強頑張る中高生の
延長線で社会に出てきたもんだから
そりゃ土日に買って読む本は自己啓発本だし
webサイト?ライティング?マーケ?の
how to本にもなる。
(ダイゴとかリベ大とか●●が9割!系ね)

そんな中私は壊れて休職したわけですが
好きなことをやれと言われてもできないわけで。

最初は元気もないからひとりで読書をしたり
自己探求系の本を読んでいたけど
やっぱり寂しくて(人話さんと死ぬ)
ワークショップに参加するようになった。

とはいえこんな小娘私にはリサーチ力も人力も
なあんにもないので
つながりの学校経由でいろんなものに参加。

MBTI診断のワークショップ
ピザ屋さん呼んでピザ会
和菓子作り
箱根に合宿
LEGOのワークショップ
裸足で山歩き などなど

そしたらなんか読書以外にやりたいことが
段々できてきて休職中に
やっとやっと生産性のないことができるようになった。

やっとやっと自己啓発とか心理学とか
自己探求とか生活の為のお金の本とか
そんな本ではなくて自分が好きだった
食べ物についてや趣味についての
本を手に取れるようになった。

無意味なことが休日にできるようになった。

私はハンドメイドが好き
私は玄関飾りが好き
私はお絵描きが好き
私は料理が好き

友人の結婚式用のミニトルソー

そんなことを思い出せるようになった。

思い返せば↑の自分の好きなことって
工作も絵も料理も裁縫も
全部児童館でやってたやつだった。

「精神的につらい時は落ち着く場所に行って...」
「子供の頃好きだった場所に行って...」
なんたらとよく聞くけど
私にはそんなのないし

と思ってたら児童館だった。

私が小学生の頃は
児童館(全国にあるのかしら)では
毎週土曜日にワークショップがあって
小学生の私は申し込みしまくって
めちゃくちゃ通ってた。

干支の飾りを年末には作るから
それで「今年はサル年なのね」って
理解したり
バレンタインにはチョコチップクッキーを作って
お月見にはお団子を作って料理の楽しさを感じて
自画像描く学校の授業が本当に嫌で初めて学校で小4にして
教室で泣いたけど児童館の絵を描く教室で
絵の具を使う楽しさを覚えて
小5では賞をもらえるほど絵が好きになったし

干支以外にもいろんな飾りを作ったから
それを母が玄関に飾ってくれるから
いつも実家の靴箱の上の謎スペースは
ちりめん細工でできた金魚が泳いでいたり
どんぐりのクリスマスツリーがあったり
季節感にあふれていた。
玄関を飾るのが次第に当たり前になった。

あと、夏休み明けには10個くらい工作を学校に持っていていたから
それを先生に褒めてもらって来客用の玄関に飾ってもらうのも
めちゃくちゃ嬉しかった。

でも中学に上がると夏休みに工作が出来なくなった。
というか工作の宿題が無くなった。

高校に入ると次は製菓学校に進学したいと両親に訴えた。
料理教室に通いたいと両親に訴えた。
でも結局反対され普通の大学に通うようになった。

製菓学校目指してた時


無意味行動が賞賛されていた小学生

大学受験のための事が賞賛される中高生
就活の為の事が賞賛される大学生
お金になることが賞賛される社会人

そしてつぶれてしまう私。

で、そんな時にたまたま
後の私にとっての大人の児童館になる場所に出会い、

あ、そうだそうだ、私これやるの好きだったわ
といろいろ思い出せた。

子供に「なんで走るの?」と聞いても
「走りたいから」
と返ってくると思う。

大人に「なんで走ると?」と聞くと
「電車に乗り遅れるから」
と返ってくると思う。

いつの間にか"夢中"のなり方を忘れる。
(某本でやりたいこと見つけようと思ったけどこの夢中感覚。本読んだだけで思い出せるわけがなi...)

つまみ細工の手作りお雛様

当たり前だけど大人になってから工作とか
それがお仕事ではない限り
まじ無意味な行動だと思う。

でも"働く"じゃなくて"生きる"には必要で。

"働く"には工作は無意味行動だけど
"生きていく"には意味ある行動であって。

別の話をすると、

私は料理も好きだし食べ物のルーツを知るのも好き。
でもこんなのは大学受験に必要ない。
だから家庭科とか総合とかのどうでもよい
受験生にとっては仮眠授業の一環となってしまう。
ちなみに私の高校の家庭科期末テストは暗記勝負の
ま!じ!で!苦痛過ぎる科目だった。

とは言え、料理や食は私の生きる上では超大事な要素だった。

その証拠に今は休日にはお友達のピザ工房にお邪魔したり
味覚についての授業に行ったり
家では作れない、つまり私生活に活かせなさそうな
料理教室にも行く。

楽しいから。

味覚の授業

楽しいからやる。

「なんで申し込みしたの?」
「なんでそれしたいの?」
「なんでそれやるの?」
「なんでお金払うの?」

なんでなんでなんでを突き詰めて
その理由が楽しいから。で終わる行動というか
そういう行いを持つことがどれだけ難しいんだろう。
この社会は。

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