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織部の茶室

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「利休七哲」の一人であり、利休の死後は徳川家の茶道指南役として天下一の茶人となった武将茶人・古田織部のつくった茶室を集めました!(通称・へうげもの..です!)
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記事一覧

八窓庵(奈良国立博物館の茶室)

「八窓庵(はっそうあん)」

奈良国立博物館の敷地内にある茶室。

今は同館の中庭にありますが、もとは興福寺大乗院の庭内にあった茶室で、「含翠亭(がんすいてい)」と呼ばれていたそうです。

明治25(1892)年に当時の奈良帝室博物館に移設。大和三名席の一つともされています。

八窓庵の名のとおり、連子窓と下地窓、床の墨蹟窓、合わせて八つの窓があります。

内部は四畳台目の下座床で、古田織部の好み

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藪内家 燕庵(古田織部の茶室)

「藪内家 燕庵(えんなん)」

茶道藪内流宗家を代表する茶室。

三畳台目に一畳の相伴席を付けた、いわゆる「燕庵形式」と呼ばれる形式で、古田織部の好みと伝えられています。

古田織部は利休七哲の1人にも数えられる茶人で、織田信長に従って戦功を重ねた武将でもありました。利休の死後は、豊臣秀吉の御伽衆(※将軍や大名の側近に侍して相手をする職名で相談役のようなもの)にも加えられ、茶の湯の名人として大いに

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猿面茶席(古田織部の元国宝茶室)

「猿面茶席(さるめんちゃせき)」

利休の弟子で、利休の死後は徳川家の茶道指南役となった、古田織部(1544-1615年)の意匠と伝わる茶室。

家康の城・名古屋城築城の際に、清洲城(信長の城)の古材を利用して建築されたそうです。

信長が清洲城にいた頃、枝を払った節目が二つある柱がありました。それを見た信長は秀吉に向かい、「汝の面のようだ」と戯れたそうです。

その柱が床の間の柱(床柱)に使われ

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「へうげもの」の茶室



「織部四畳半台目席」

ある種完成形、方形の四畳半に中柱が立つ。織部の確かなチャレンジの跡が感じられる。

作者の織部は利休七哲にも数えられる利休の弟子で、利休の死後は将軍家の茶道指南役(天下一の茶人)となった。

師の利休に負けず劣らずの創作意欲と気概が感じられる作品を数々と残し、

茶室や作庭はもちろん、陶器の世界では独特色味を持つ織部焼等、面白い作品が多数。

後々、彼の素晴らしい芸術志

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織部好 三畳台目



「織部好 三畳台目」

利休の弟子でもある織部が、利休の深三畳台目を参考にしたもので、中柱を伴う台目構えの形式です。

(↓利休の深三畳台目。中柱を伴う台目構え初期の試作で、袖壁は吹抜けず、下まで付いている)

織部は利休以降、将軍家の茶道指南役として天下一の茶人となりました。
徳川政権の下、利休とは異なる武家茶を進めましたが、最後は利休と同じく自刃

「人とちがうことをする」
という、利休の

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