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私の推論が妥当であることを、どうやって検証するのか
以下は、私が行っている、私自身の推論が、果たして妥当に行われているか否かを、どうやって検証するか、その方法について、検討したものです。
(1)私が考えたこと
私の推論が妥当であることを、私自身が検証する場合を考える。その際、私自身が、正気であるのか、それとも、そうでないのかを、あらかじめ確定できない。仮に、私が正気でないとして、その私が行った判断が、適当であると言える保証はない。私が行った判断の
隣にある深淵と、いくつかの断片
下記の(1)に対する注釈としてのリンク
マルクスの周縁に見た可能性の中心:私の謎 柄谷行人回想録⑫|じんぶん堂 (asahi.com)
(1)商品の価値は、商品に内在していないのと同じように、言葉の意味は、言葉に内在しておらず、同様に、個人のアイデンティティは、個人に内在していない。それらは、交換、または交通の中で、生じる。
下記の(2)に対する注釈とは言えないリンク
最終審級と言説の政治 -
実数と無理数、そして超越性のこと
こういう題名だと、超越数($${e}$$とか$${\pi}$$とか)の話かと思う方もいると思うのですが、(たぶん、いやかなり:…ちょっと自信がなくなってきますが、自分でも、いつもながら良くわからないことを書いているので)違うのでご注意ください。
さて、今回も次のリンク先(PDFファイル)の冒頭部分を参照しています。
【指数関数の定義について】http://takeno.iee.niit.ac.j
いわゆる「ケンブリッジ資本論争」について
(1)はじめに
以下の議論の前に、次の本を読んでいることを記しておく。
柄谷行人「力と交換様式」(岩波書店、2022年)
(2)いわゆる「ケンブリッジ資本論争」について
インターネットで、「資本論争」を検索すると、以下の書評が出てきた。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshet1963/46/46/46_46_136/_pdf/
この書評によると、