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「おはよう、私」①(短編連作小説 & 音楽)第1話
第1話・瑠璃
朝。
遠く聞こえるアラームの音が意識をたたく。
細く開いたカーテンの隙間から、細い光がこぼれている。
ああよかった今日はいい天気なんだなと、ぼんやりした頭で反射的に考える。
「よかった」と思ったのは仕事で人に会いに行く予定があるからで、晴れていれば移動がらくだからだ。雨ならば広がってしまう細いくせ毛も、今日はきっと大人しく、肩で揺れてくれるだろう。
ほとんど無意識に
noteの路地裏で
しばらくご無沙汰していたnoteの街。
戻って早々、コニシ木の子さんの「なんのはなしですか」の路地裏に迷い込んでしまった。
路地裏の入口となったのが、こちらの記事。
↓
#なんのはなしですか のハッシュタグの生みの親(たぶん)、コニシ木の子さんの文章に、まずやられてしまった。
まじめな文章かと思いきや思わず笑ってしまうその絶妙なワードチョイスに、知性とただ者じゃない感が滲んでしまっている。
「おはよう、私」④(短編連作小説 & 音楽)音楽編
短編連作『おはよう、私』をお読みいただき、ありがとうございました。
この3つの物語には、根底を貫いて流れる一曲の音楽があります。
第3話で青磁の背中をやさしく押した、この曲です。
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作詞・作曲・演奏すべてが Jaga さんの手による、この素敵な楽曲。
もともとは、歌詞のないピアノ曲でした。
その優しくうたうようなメロディーからインスピレーションを得て、小説『おはよう、私』は生まれま
「おはよう、私」③(短編連作小説 & 音楽)第3話
第3話・青磁
朝。
スマホのアラームで目が覚める。
カーテン越しに伝わる外の世界はまだ薄暗く、僕は小さくうめく。
うう、なんだかいい夢を見てたのに。
なんでこんな薄暗い時間にアラームが鳴るんだ。
さらさらと崩れていく夢のしっぽを追いかけてもう一度寝てしまおうと思った刹那、今日が春休み明けの一日目であることを思い出す。
スマホは7時を知らせていた。
耳を澄ますとかすかに雨の音
「おはよう、私」②(短編連作小説 & 音楽)第2話
前回のお話しはこちら ↓
第2話・葵
朝。
アラームの音が意識に届く。
細く開いたカーテンの隙間から、細い光がこぼれている。
ああよかった今日はいい天気なんだなと、まだ半分眠りの中にいる頭で反射的に考える。
* * * *
昨日の朝は雨だった。
雨の日は、子どもを保育園に送るのにいつもより時間がかかる。
レインコートを着こみ、自転車の後ろに乗せた子どもに椅子ごとすっぽり
言葉のひとひら『あなたのための短歌集』
少し疲れたとき、わたしには詩や短歌が効く。
心も体もいっぱいで、もうこれ以上何も入らないと思うとき、詩や短歌をただ眺める。
なにが書かれているのか、意味は考えない。
ただ眺め、その言葉のもつ音が、頭の中を流れるままにする。
ぼうっとした頭を、言葉はただやさしく通り抜けていく。
ひらひらと通りすぎていく言葉たち。
考えることを要求しない言葉たち。
ふいに、言葉のかけらが反射する。
わたしの中
【おはDAOコミュニティ】じゃがさんインタビュー#1「おはDAOって、なんですか?」
おはDAOコミュニティの皆さま、
おはDAO~ ♪
OH…COMM(オーエイチコム)の
事務サポート的な役割を
させていただくことになった、
さちです。
運営メンバーに応募した理由や経緯は
こちらの記事に書かせていただきました。
お読みいただけたら嬉しいです。
さて、今回は、じゃがさんに
普段なかなかゆっくり聞けないことを
インタビューさせていただいたので、
それを記事にしてみました。
(
雨の日の読書ー『掃除婦のための手引き書』
ルシア・ベルリンの短編の出だしは、いつもこんなふうだ。
静かで、透徹している。
窓の外から静かに聞こえる雨音みたい。
彼女の文章を読むたび、いつもそう思う。
* * * *
『掃除婦のための手引き書』は、24篇からなるルシア・ベルリンの短編集だ。
死後10年経って再発見された彼女の短編は本国アメリカで大絶賛され、たちまちベストセラーになった。
日本でも、2020年に本屋
センス・オブ・ワンダーを育む
早朝の公園。
誰もいない新鮮な空気の中を、
まだ小さかった娘と、よく一緒に歩いた。
草の上には無数の朝つゆがきらきらと光り、まるで宝石が散りばめられた絨毯の上を歩いているようだった。
娘は一歩ごとに立ち止まり、
そんな朝つゆを飽きることなく眺めた。
* * * *
自然の美しさに目を見はるときに感じる、幸福な驚き。
東京で暮らしていても、日常の中にこういう瞬間はたくさんある。
そん
春樹さん、「壁」って一体なんですか。(システムとしての「強固な壁」と、意識の境界線としての「不確かな壁」)
わたしは普段、小説を分析したり検証したりすることは、どちらかというとあまり好きじゃない。
細切れに分断すると、物語の生命力のようなものが損なわれてしまうような気がするから。
蛍の体を分解して「なぜ光るのか」を知っても、生きた蛍が光るさまを見る感動を知ることはできないのと同じように、優れた物語は蛍のように生きて光を放っているし、その美しさを味わい愛でるときに分析や説明は不要だ。
蛍も物語も、わ