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喜びの世界(スリードッグナイト)
The three dog night をロックバンドと呼んでいいのかどうかは微妙な感じがします。
デビューの際のレコードレーベルは グラスルーツ と同じダンヒルレコードだし、もともとは3人組ボーカルユニットだったのを、演奏メンバーを加えてバンド編成に仕立てた、という経緯を見ても、「まずはギターありき」のロックバンドとは全然,成り立ちや趣が違います。
作詞作曲も外部に委託していたようですから、
Golden Slumbers ~ The weight~ The End
The Beatles というバンドに対しての思い入れ度合いは、彼らが音楽活動を展開していた1960年代にその者が何歳だったか、によって全然違ってくる。
ビートルズのデビューから解散までの8年間(1962~1970)を原体験できて、「自分の青春のエネルギーの大部分をビートルズに捧げた」と自負される方も多いと思うが、そういった方々はすでに後期高齢者(2024年現在)になられていることでしょう。
ホークスファンやめました
1973年の日本シリーズは読売VS南海ホークス。これをテレビで目撃したサル中学生は「おお、読売のライバルは阪神だけじゃないんや!なんだこの野武士みたいな緑の集団は?」と、一発でブラウン管に映る「南海ホークス」というチームのとりこになった。
当時は、藤原、桜井、門田、野村、パーカー、広瀬、定岡あたりが先発オーダー、投手陣は結構強力で江本、佐藤、山内新一、松原あたりか。
(江夏と江本は翌年にトレー
ヤマハ大阪なんば店でライブをしました
大阪心斎橋駅近く、御堂筋沿いの献血ルーム内にある クロスカフェ という名前の狭いスペースを利用して、献血PR番組に協力する形で、高校生の弾き語りバンドが出演させてもらっていました。
残念なことに、そのPR番組が3月で終了してしまったので、以前から親しくさせてもらっているヤマハのOさんに相談をしました。
「若い子がアコースティックギターに親しめるようなコンサートを企画できませんかね。アコギの魅
新庄監督は令和の野村克也なのか
1973年のプロ野球日本シリーズ南海VS読売をテレビで観て、それまで阪神タイガースしか知らなかった大阪のサル少年は、「4番キャッチャー兼監督」である野村克也が率いる 南海ホークス というチームに魅了されました。
緑色のユニフォームもかっこよかったし、野村克也以外にも門田博光、藤原満、桜井、島野、広瀬、佐藤道郎など、個性派ぞろいの集団でした。
でも当時は(今でも根本的には 何ら変わってはい