マガジンのカバー画像

ショート・ショート

49
今まで投稿したショート・ショートを纏めました。2,000文字以下の短い話ですが、「落ち(下げ)」に拘って書いてます。
運営しているクリエイター

記事一覧

【ショート・ショート】夜のバス

【ショート・ショート】夜のバス

 男は、夜のバスに乗り込んだ。この街を出るのに夜行バスを選んだことに、特別な理由などなかった。
 ガラガラの車内、一番後ろの席に座るなり目を閉じた。眠れるはずはなかった。それでも目を瞑ったのは、迷いを断ち切りたかったから。

 この街で過ごした三年間が、ボストンバック一個に詰まっている。あまりにちっぽけで、あまりにも軽い。自分がこの街で生きていたことが嘘のように思える。

 男は歌で世に出たかった

もっとみる
【ショート・ショート】天秤

【ショート・ショート】天秤

 少し怠くなってきていた。陽子との関係が、である。

「別れましょうか?」
 それは、絶妙のタイミングで、しかも「今日は、とてもいい天気ね」と言うのと同じくらい自然に、陽子の口から発せられた。
「えっ?」
 私は間抜けな返事をした。

 私は断言する。もし、この日より一日でも前か後だったら、私は二つ返事で「そうだな」と答えていただろう。
 つきあい始めて、二年。陽子は今年で二十八歳。彼女の年齢を考

もっとみる
【ショート・ショート】とかく妻というもの

【ショート・ショート】とかく妻というもの

 その日、私はしこたま呑んだ。
 上司からの急な誘いだった。妻への連絡が気になったが、酔うに連れて忘れてしまった。

 ご機嫌でタクシーを降りた頃には、時計の針は疾うに深夜一時を回っていた。
 高台にある住宅街。辺りはしんと寝静まっている。我が家の明かりもすっかり落ちて、鼻歌と靴音がやけに響く。

 中腰で街灯を頼りにドアの鍵穴をまさぐっていると、居間に続き玄関の灯りが点いた。緩慢な動作で見上げる

もっとみる
【ショート・ショート】意地っ張り達

【ショート・ショート】意地っ張り達

 日本シリーズ。両チーム三勝三敗で、優勝が掛かった最終戦。セ・リーグはG軍、パ・リーグはF軍。
 九回裏、F軍の攻撃。同点で二死満塁。高橋投手が抑えれば、延長戦。三塁走者が帰ればF軍のサヨナラ勝ち、という絵に描いたような場面。

 カウントは1ボール0ストライク。高橋投手は自信のあるスライダーを打者の膝元に投げ込んだ。橘選手は手を出せずに見送った。
「ボール」
 佐藤主審は右手を横に払う。
 高橋

もっとみる
【ショート・ショート】腕相撲

【ショート・ショート】腕相撲

 親父が、弟と腕相撲をしている。
 高校一年になって、この頃めっきり体が出来てきた弟に苦戦している様子。
「何だ、だらしねぇなあ」
 俺が挑発すると、
「遊んでいたんだよ」
 親父はムキになる。弟の粘りも、ついにねじ伏せられた。

「次は、お前だ」
 親父が指をポキポキ鳴らす。
「無理すんなって。息、あがってるじゃん」
「いいから来い」
「じゃあ、左でやろう」

「セット」
 弟が、二人の拳を押さ

もっとみる
【ショート・ショート】献立

【ショート・ショート】献立

「ねぇっ、夕食に何が食べたい?」
 子供達の部屋に顔を出して、尋ねる。
「別にっ、何でもいいよ」
 次男が、マンガ本に見入ったまま、顔も上げずに答える。
「あんたは」
「俺も」
 長男は、テレビゲームのコントローラを叩き続けている。
「何でもいいわけないでしょ。気に入らないと、食べないくせに、もうっ」
 つい声を荒げてしまう。
 ――あーあっ、聞いた私が、馬鹿だった。
 毎日の献立。考える私も疲れ

もっとみる
【ショート・ショート】ツバメ

【ショート・ショート】ツバメ

 今年も我が家の軒下に、ツバメが新しく巣を作り始めた。

 ちょうど去年の今頃。
 ベランダに出た時、雛が弱々しく翼を震わしているのを見つけた。まだも羽毛も生え揃わず、目も開いていない。
「おとうさん、ちょっと来て」
 いたたまれなくなって、急いで夫を呼ぶ。
「多分ツバメだと思うの、あの巣から落ちたみたい」
 夫は、ティッシュを何枚か丸めて巣を作り、その中に雛を入れた。
 力無く横たわっている雛を

もっとみる
【ショート・ショート】手巻き式の腕時計

【ショート・ショート】手巻き式の腕時計

 夫が、私の誕生日プレゼントに手巻き式の腕時計をくれた。
「俺のと同じメーカーの物だぞ」
 夫はデジタル時計が好きでない。
「高かったんでしょう?」
「それほどでもない」
「いくらしたの?」
 答えないところを見ると、結構な額を出したようだ。

 私は今使っている電池式で不満はなかったから、前もって聞かれれば他の物をおねだりしたのに。

 手巻き式の腕時計は、巻き忘れると直ぐに止まってしまう。その

もっとみる
【ショート・ショート】紙飛行機

【ショート・ショート】紙飛行機

「それじゃ、だめだよ」
 折り目が甘いし、翼の形も左右歪だけれど、君は一向に気にしない。
「要は飛べばいいのよ」
 私は片目をつぶって左右の翼のバランスを確かめる。君はそんな私を後目に、作りたての紙飛行機を持って庭に飛び出した。
「仕様がないなあ」
 定規で測ったように左右対称で、触れれば切れそうな程きっちり折り目を付けた私の飛行機は、それだけで美しいと思う。
 私は、それを手に君を追いかけた。

もっとみる
【ショート・ショート】本

【ショート・ショート】本

 いつだったか夫に尋ねたことがある。
「子供の頃、何になりたかったの?」
「古本屋のオヤジかな」
 夫は即答した。その姿を想像したらおかしくて、笑いが止まらなくなった。
「やっぱり変かぁ?」
「いや、あまりに似合いすぎてる」
 涙が出てきた。

 あら、この本、結構面白いわね。
 私は、ページをめくる手を速める。長い看病生活ですっかり本を読む習慣が身に付いた。そのせいか、夫の世界に少し近づいた気が

もっとみる
【ショート・ショート】ヒーロー

【ショート・ショート】ヒーロー

「そーっとだぞ」
 靴のまま、僕は静かに川に足を入れる。
「冷たいっ」
 背中は焼けるように熱いのに、流れは痺れるほど冷たい。半ズボンの裾が濡れた。
「そっちに回れ」
 岸に生い茂った茅の葉が垂れ下がって水面に陰を作っている。そういう所が絶好のポイントだと、父から教わった。
「下流の方から、そうっと近寄るんだ。でないと、人の臭いで魚が逃げてしまうぞ」
 僕は抜き足差し足で近づく。

 夏休み。父の

もっとみる
【ショート・ショート】ピンポンダッシュ

【ショート・ショート】ピンポンダッシュ

 何で来てしまったんだろう。
 学校で毎日顔を合わせていても話せないのに、二人きりで面と向かったら何にも言えず逃げ出してしまいそうだ。
 しっかりしろ、聡美。
 自分を鼓舞する。

 明日は卒業式。高校は別々になるから、今日が自分の気持ちを伝える最後のチャンスだ。
 一大決心をしてきたものの、聡美はもう何度も家の前を行ったり来たりしている。聡美にとっては、何時間もの出来事にも思えたが、実際には数分

もっとみる
【ショート・ショート】メール

【ショート・ショート】メール

 私の携帯がぶるっと揺れてメールの着信を報せた。画面を開くと、件名に「💗」だけが表示されている。
 えっ、懐かしいなあ。
 私の心を軽い驚きと喜びと、そして少しばかりの感傷が過る。

 圭子はアルバイトで入った娘で、私の職場に配置されてきた。高校を卒業したばかりだった。
 圭子は、仕草が可愛い、初々しさが事務服を着たような娘だった。
 折角ならアルバイトではなく正規の職に就けばと思うのだが、彼女

もっとみる
【ショート・ショート】習慣

【ショート・ショート】習慣

「あっ、しまった」
 妻が階段を駆け上がってきた。
「何? どうしたの?」
「ワイシャツを着る前に、ズボンをはいてしまった」
「えっ?」
 妻は怪訝な顔をする。
「いつもはYシャツが先なんだ」
「何、それ。馬っ鹿じゃないの。慌ててきて損した」
 そんなの、どっちが先でもいいじゃない!
 妻は呆れ顔で降りていった。

 でも私にすれば、会社員になってから十年一日の如く、ずっとそうしてきた。すでに習慣

もっとみる