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パクス・ヒュマーナ 〜平和という“奇跡”〜 その2.2 ”児童期の教育“ 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 NHKさんの作品を取り上げ、平和への1つの切り口、史実を元にした深堀りをするという話です。

(特に駐在したイスラエル、飽きるほどデレゲーションのアテンドで行ったエルサレムと私の人生に大きく影響を与えた稀有な経験に直結しています。ですから食い散らかした現役時代を卒業したこともあり、コンテンツとして残す事に意義ありという認識です。立ち止まって丁寧に考察して行きます。)

経緯
 その1では、神聖ローマ皇帝のフリードリッヒ2世がその理性的な能力を発揮し十字軍として交戦すること無く、交渉でエルサレムの統治権を得たという史実の話でした。

 その2.1は、その偉業を成し遂げたフリードリッヒ2世が3歳で父を亡くし、4歳の時に母方の持つシチリアの王となりました。そしてその理性的な能力の根源を、同年母が他界する4歳までに得たという話でした。そして… (格別の知識·能力を持って)4歳で孤児になったのでした。

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 今回は、その後の児童期の話です。
 
 4歳でのシチリア王というのは、その時点では勿論形だけに近いものでした。母は、遺言で息子の皇帝権を放棄し、自らの手の内に収まる形で専らシチリア王とし成長することを選びました。またシチリア国の統治と息子の後見役を教皇に委ねました。教皇から統治を委託された大司教の1人たる宰相の下で、優秀な教育係も付き成長して行きました。

 当然、シチリアは無政府状態になりました。多民族の思惑に翻弄されました。近隣の地続きの国々たるドイツ人、南イタリア人、シチリア国内のサラセン人(イスラム教徒)、

地中海貿易の競合たるイタリアのジェノヴァの人々、

ピサの人々、

前シチリア王の子孫まで。そしてドイツの元尚書官(秘書官)は母が皇帝権を放棄したことを認めず、自らが後見人と主張したりと何でもアリ。無茶苦茶。しかしこれも良い人生経験となったと理解しています。

 その後、教育を司った宰相も帰国することになりました。そんな事もあり無政府状態がより深刻化しました。その時7歳にして王国の全領主に出した手紙が残っています。とても7歳とは思えないしっかりとした内容で領内の治安回復を命じています。
 詰まり母の教育、その後の教育係の教育、父母を失い混同とした環境でもがいた経験をして、既に7歳にして曲がりなりにもシチリア王としての職務をこなしていたのでした。

 母からの幼児期のエリート教育、教皇からの児童期前半のエリート教育、そして多民族の思惑の中で揉まれた経験がファンダメンタルズ形成の礎となったようです。
 
 これは、現代に生きる私の2人の子どもたちへの教育と類似点が有ります。

 何れも可能な範囲で幼児期から徹底してエリート教育をしました。吾妹の地頭の良さとその後のエリート教育、社会人としての経験を徹底的に昇華しての子どもへの教育。可能な限りのエリート教育機関のトラックでの学校教育、そして私の異動や転職などに伴う転居から、その先々での揉まれた経験。これらは、私の2人の子どものファンダメンタルズ形成の礎になって居ます。

 吾妹の並外れた子どものへの手の掛け方と、親バカですがその結果として、それを上手く利用して自ら育った2人の素敵な個性は、資産のソフト化という意味からも最高の宝物だと今回の考察で改めて認識しました。

 やっぱりNHKさん、良い番組を制作しますね~

つづく

 


 


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