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本能寺の変1582 目次小 9光秀という男 5斎藤氏の盛衰 第60~61話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 9光秀という男 5斎藤氏の盛衰 第60~61話 

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 第60話
  
1400年代、前半。
  土岐氏は、求心力を失った。
  土岐氏は、富島氏と斎藤氏を重用した。
  富島氏と斎藤氏の権力闘争が始まった(美濃錯乱)。
  1400年代、後半。
  斎藤氏は、急激に勢力を拡大した。
  斎藤利永は、土岐持益の後継問題に介入した。
  土岐成頼は、利永の傀儡にすぎない(一色氏)。
  斎藤利藤が利永の跡を継いだ(惣領家)。
  斎藤妙椿が利藤を後見した(持是院家)。
  1467年、応仁の乱が始まった。
  時代は、戦国時代に突入した。
  妙椿は、応仁の乱に参戦した。
  妙椿は、富島氏を駆逐した。
  妙椿は、土岐氏を超える力を有していた。
  この頃が斎藤氏のピークだった。 

 第61話
  
斎藤妙純が持是院家を継承した。
  妙純と利藤の間に争いが起こった(文明美濃の乱)。
  妙純が斎藤氏の主導権を握った。
  妙純は、成頼の後継問題に介入した。
  妙純は、嫡男政房を推した。
  土岐成頼は、石丸利光と手を組んだ。
  美濃は、二つに割れた(船田合戦)。
  妙純がこの戦いに勝利した。
  土岐政房もまた、妙純の傀儡にすぎない。
  斎藤氏は、再び勢いを取り戻した。
  妙純が近江で戦死した。
  斎藤氏の勢力は、大きく減衰した。
  同じ頃、京都。
  細川政元が将軍足利義材を追放した(明応の政変)。
  将軍の権威は、失墜した。
  細川政元の専制政治が始まった。
  細川政元は、叡山を焼討した。
  政元は、細川京兆家の全盛時代を築き上げた。



 ⇒ 次へつづく
   目次小 9光秀という男 6長井新左衛門 第62話 


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