見出し画像

本能寺の変1582 第161話 16光秀の雌伏時代 3信長と越前 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第161話 16光秀の雌伏時代 3信長と越前 

はじめに ←目次 ←前回 第160話 

永禄十三年1570、越前侵攻の年。

信長には、その前に、解決せねばなぬ問題があった。

光秀は、岐阜へ向かった。

 正月早々。
 表向きは、年始の挨拶。

 同じ頃、京。
 山科言継が日乗上人を訪ねた。
 この時、日乗は、岐阜にいた。
 
  次、日乗上人木(小)屋へ罷り向かう、
  今に、上洛なしと云々、
               (「言継卿記」一月十四日条)
  
 
  次、木(小)屋へ罷り向かい、日乗上人を相尋ぬ、
  未だ、上洛せずと云々、
               (「言継卿記」一月二十日条)

 同じく、光秀。
 光秀もまた、岐阜にいた。

  明智十兵衛、濃州へ下向と云々、 
               (「言継卿記」一月二十六日条)

信長は、光秀に大役を命じた。

 「公方に、知らしめよ」
 義昭に、己の立場を再認識させる必要があった。

光秀は、迷うことなく、信長の命に従った。

 光秀は、義昭の家臣。
 少し前まで、足軽だった男。
 その男が、己の主人、時の将軍足利義昭に、「知らしめる」のである。
 難儀な役目だった。
 なれど、一瞬の躊躇いも見せず。
 「ハハッ―」
 唯々として、その命に従った。

 これ程の大役、他にあろうか。

光秀は、信長の期待に、改めて、気づかされた。

 己の置かれた立場・役割、否、重要性・価値、・・・・・。
 光秀が、信長の、己に対する期待に、改めて、気づかされた瞬間で
 あった。

光秀は、信長と同じ志向の持主であった。

 光秀は、歴とした戦国武将。
 争乱の美濃・下剋上の中を生き抜いてきた男。
 以心伝心。
 同じ穴の狢。
 ・・・・・、なのである。

天下の儀、何様にも信長に任せ置かるのゝ上は。

 信長は、義昭に五ヵ条を示した。
 仲介人は、日乗上人と明智光秀。
 すなわち、証人。
 内訳は、斯くの如し。 
 
    (印文 義昭宝)
       黒印
 
      条々
 
  一、諸国へ御内書を以って仰せ出さるゝ子細あらば、信長に仰せ聞かせ
    られ、書状を添え申すべき事、
 
  一、御下知の儀、皆以って御破棄あり、その上御思案なされ、相定めら
    るべき事、
 
  一、公儀に対し奉り、忠節の輩(ともがら)に、御恩賞・御褒美を加えら
    れたく候と雖も、領中等なきに於ては、
    信長分領の内を以っても、上意次第に申し付くべきの事、
 
  一、天下の儀、何様にも信長に任せ置かるのゝ上は、誰々に寄よらず、
    上意を得るに及ばず、分別次第に成敗をなすべきの事、
 
  一、天下御静謐の条(=天下は平和になったのだから)、禁中の儀、
    毎事、御由断あるべからざるの事、
 
     已上
 
   永禄十参               (信長)
     正月廿三日            (朱印)
      日乗上人
      明智十兵衛慰殿
 
           (「成簣堂文庫所蔵文書」「織田信長文書の研究」)

信長は、義昭の権限を大きく制限した。

 二人の関係がよくわかる。
 信長にとって、義昭は「傀儡」に過ぎない。 

光秀は、大任を果たした。

 義昭は、受諾するのみ。
 「黒印」
 そうする他なかった。

 義昭は、執念深い。
 この時の鬱憤が心の底に燻ぶりつづけていく。
 そして、やがて、・・・・・。

信長は、大いに気に入った。

 全ては、思いの通り。
 「光秀」
 信長は、大いに気に入った。

 大事は、着々と進んでいく。 



 ⇒ 次へつづく 第162話 16光秀の雌伏時代 3信長と越前





この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?