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本当に伝えたいことは言葉で表せないから、本がいっぱいあるのかぁ。お正月に考えた隙間だらけの論考。
お正月の新聞広告がそもそものきっかけだった
元日の新聞には出版社の広告がたくさん出る。
これって業界のしきたりなのか?
その中で不立文字という言葉にぶち当たった。
光文社の「心をととのえるスヌーピー」の広告でした。
なんて読むんだっけ?ふりつもじ?いや違う。
そうだ、ふりゅうもんじだ。小さくフリガナが付いていた。
どういう意味だっけ?ご親切にも説明が付いていた。
「本当に伝えたいことは決して文
ハロウインとは関係なく、今さらながら、エドワード・ゴーリーにはまってしまった。
近所の本屋さんに、ずっと以前から気になる本、というか絵本が置いてあった。
作者がエドワード・ゴーリーという人の本。
絵本だけど、サイズが小さくて、絵がほぼモノクロで、
なにか不穏な雰囲気が漂っている。
翻訳を柴田元幸さんがしているというのも気になる。
中を見ようとしたら、シーリングされていて開けなかった。
結局いつも表紙と裏表紙を見るだけで、通り過ぎていた。
しかし、先日、「エドワード・ゴーリー
アメリカ60年代の映画界とアート界が間近に迫る。俳優&監督デニス・ホッパーが撮った写真に大興奮。
「アメリカの友人」のデニス・ホッパーがとてもいいね、
というところから今回の話は始まる。
ドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースのボックスが出たので、
買ってしまった。お高いのに。
お目当てはデニス・ホッパーが主演している「アメリカの友人」。
何十年も前に映画館で観た。
期待して観たのに、良さが分からなかった。その時は。
その後何度か見直していたら、ある日、この映画にハマってしまった。
しかし、こ
第7波の感染が広がる中、私設ライブラリ―をこっそりとオープン
ライブラリーに名前をつけた
本棚に本が収まり、準備が完了した。
そうそう、このライブラリーに名前をつけなければ。
これは前から考えてあった。
「つんどく」だ。
私は本を買うばかりで読まないことが多い。
つまり、典型的な積読(つんどく)派という意味で名付けた。
読まれなくても、本には存在価値があるという解釈でもある。
今どき、読むための媒体はたくさんある。
読書したいだけなら、電子媒体でもOKだ
私設ライブラリ―への道②コンセプト編つづき
本は天下の回りもの
本は読み終えたら本棚に納める。
(私の場合、途中で投げ出す場合が多いが)。
本がどんどん増えていくのを見るのは楽しい。
本棚がいっぱいになると「蔵書」感が高まる。
増えれば増えるほど、偉くなった気分になる(もちろん、完全な勘違いだが)。なので、溜まれば溜まるほど、本を手放そうと思わなくなる。
本棚が空になったら、自分のメモリーも空になったような気がするからだ。
しかし、本の立
私設ライブラリーへの道①コンセプト編
読書は苦手だが、本が好き
ライブラリ―、つまり図書館をはじめるというと読書家、読書好きと思われる。しかし、私は読書嫌いではないが、読書が少し苦手だ。
でも、本がとにかく好きだ。
そんな少し矛盾した気持ちを以前noteに書いた。
おもしろいことに、私が書いたものでトップクラスのスキをもらった。
同じようなことを感じている人が結構いるんだなと思った。
本の読み方に精読、乱読、積読(つんどく)などの
ウェス・アンダーソンの新作 「フレンチ・ディスパッチ」はちょっと嫌味なんだが、いろいろと考えさせる魅力もあっておもしろい
映画ってなんだろう?と思うことの多い今日この頃。
映画ってなんだろう、と思うことが多い。
何故かと言えば、見る手段がどんどん広がっているから。
映画館で観る、テレビで見る、PCで見る、スマホで見る、
最近ならヘッドマウントディスプレイ(HMD)で見るなんてのもある。
昔だったら、問答無用で映画は映画館で観るべき、となるのだが、
ここではそういう話をしたいのではない。
そうではなくて、映画が「体
クリント・イーストウッド91歳のロマンティックコメディ。 「クライ・マッチョ」
「俺はドリトル先生か」
クリントのこのぼやきが、観る人の心を和ませるなあ。
クリント(あ、そう呼ばせてもらいます。
イーストウッドではよそよそしいし、かれこれ60年のおつきあいなので)。
クリントは今回、原点にかえってカウボーイで登場する。
当然、馬のあつかいは手なれたものだけど、
ケガした羊や豚とかも治療してしまうので、
近所の人が次々に家畜やペットを連れてくる。
その様子にうんざりして、冒