伴走者ノゾム@TSL/Tsubasa Spilit Laboratory
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子の巣立ちを後押しする親、邪魔する親
健康的な心を持つ親は、反抗期を迎えた我が子に手を焼きながらも、その反抗を子供の成長の証しと捉えます。
娘から「お父さんの汚れ物と私のは分けて洗濯して!」と言われたらショックですし、
息子から「うるせーな」と言われたらカチンとも来ます。
お父さんのお嫁さんになりたい、と言っていた娘が、たった数年で自分を、キモい、と言い、
キャッチボールをして、お父さんスゴい!と憧れの眼差しを隠さなかった息子
生きづらさを手放し、今を生きる
機能不全家庭に生まれ育って、
生きづらさを抱えてしまった人が、
生きづらさに気がついて、
その生きづらさを手放そうとする時、
自分と向き合います。
自分と向き合うこと無しに、生きづらさを手放すことは出来ません。
生きづらさを手放す事は、
自分と向き合うことが始まりであり、
自分と向き合うことが全てでもあると思っています。
しかし生きづらい人にとっては、
自分と向き合うことは、そんなに易し
君は恥ずかしい存在なんかじゃない
もう15年程前になります。
私は当時、東京に住んでおり、事業に失敗して経済的にも精神的にも、どん底の状態にありました。
結果としては、この時のいわゆる、底打ち体験、があったから、自分と向き合うことが出来、
長く背負って歩いた、生きづらさ、を背中から降ろすことが出来た、と今は思っていますが、
当時は、苦しさの最中に在りました。
そんな時、同じく苦しみの最中でもがいている一人の男性と出会いま
生きづらさを創り出す親子関係に欠けたもの
機能不全家庭に於ける親子関係は、
心理的には逆転しています。
確かに物理的には、
親が子を養育しています。
ご飯を与えるのも、服を買い与えるのも親ですし、住まう家も親が建てたか買ったか、賃料を親が支払っているか、です。
機能不全家庭だからといって、物理的には、健やかな家庭と何ら変わるところはありません。
だから、他所から見ると、機能不全家庭は、健やかな家庭と見分けがつきません。
むしろ、
私は毒親でしょうか?
「私は毒親でしょうか?」
そう尋ねるお母さんは少なくありません。
私は「毒親」と言う言葉は理由があって極力使わないのですが、
問い掛ける、苦しむお母さんは、大半が冒頭に記した様に「毒親でしょうか?」と尋ねられるので、今回はそのまま使いました。
何故、その言葉を使わないのか、は、別記事でお話ししようと思っています。
結論から言いますと、本当の意味での毒親であれば、自分は子供にとって良くない母
言うに言えないことを察する心
得体の知れない重々しい気持ちを引きずったまま、人生を歩いた果てに、
その重々しい気持ちこそが、生きづらさである、と気がつく人がいます。
その原因が、幼少期の親子関係にあるのではないか、という事まで見通す人がいます。
その人は、生きづらさの原因となった親子関係しか知らないのですから、自分一人で、そこまで辿り着くには、とてつもない苦しみや、寂しさ、虚しさを味わった筈です。
とてつもなく苦しかっ
許す道、断罪する道、向き合う道
自分が抱える、苦しさ、は、
生きづらさ、だったんだ、
そう気がつくことは、
苦しむその人にとって、簡単なことではありません。
余程のレアケースを除いては、生きづらさ、の原因は、幼少期の親子関係にあります。
つまり、
生まれた時から苦しくて、
物心ついた頃には生きづらくて、
その人にとっては苦しい状態は、当たり前で、生きづらいのが常態なのです。
その人が、苦しみの無い状態を少しでも経験し