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介護

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午後5時、病院からの帰り道

午後5時、病院からの帰り道

 出たくなかった。誰でもそうだろう。夜、ケータイの画面に表示された名前は、母がお世話になっている、ショートステイからだった。担当者の男性職員が、時々停滞する様な物言いをする。つまり簡単に言うと、母がコロナ陽性者になったという連絡だった。思わず、体温が上がった様に感じた。

 一晩明けた今日、保健所から指定を受けた病院へ行きレントゲンや血液検査をしたと連絡が入った。熱は下がり、36.6度平熱だったそ

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あなたと一緒なら

あなたと一緒なら

 頭が禿げる夢を見た。夢占いで調べてみると、体力の低下、ストレスの蓄積に注意と書いてあった。気がかりを確かにふたつ抱えている。ひとつは、父の持っている借家が漏水している件。もうひとつは、父の転院の件だ。
 

 父が入院して、実家が無人になった。そこで私は、借家に住んでいる方へ「何かあったら私の携帯にかけて欲しい」と連絡をしていた。古くて小さな借家だ。管理会社と契約してもない。ある日電話があり、玄

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お墓参り

お墓参り

 まどろみから目が覚めたら、午前6時だった。ショートステイから戻った母を見るため、昨日私は実家に泊まった。ついでに朝から墓掃除に行こうと、そう決めていた。お墓は実家から歩いて10分ちょっと。車は横付けできないので、家から小さなタンクに水を入れて持っていく。真夏のお墓掃除は朝早くじゃないと、肉体的にかなりきつい。

 再びうとうとして、7時に目を覚ました。母を車椅子でトイレへ連れて行き、紙パンツと尿

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過去と手を繋ぎ、それでもその先に手を伸ばすんだ

過去と手を繋ぎ、それでもその先に手を伸ばすんだ

 病院の入り口でセンサーがピィーっと、けたたましく鳴り響いた。モニターには37.8度の数字と共に『係員をお呼びします』との表示。炎天下の道路を数分歩いただけで、日傘が溶ける様に熱い。その熱のせいで体温を誤って感知したらしい。数秒後液晶画面に映る私は、通常体温に戻っていた。

 父が入院して2週間が経った。面会禁止だが、手術をするかしないか決める時だけ会うことが出来た。胃瘻は死んでも嫌だと父は言い、

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父の入院と母の鼾

父の入院と母の鼾

 風は暑くもなく冷たくもない、朝の鮮度を感じられない空気のかたまりだった。雲が立ち込める空は薄暗く、街路樹から蝉の鳴き声が聞こえていた。午前10時、私はショートステイから帰ってくる母を迎え入れる為、実家へ向かっていた。母と二人きり、二泊三日過ごすのだ。

 母がショートステイから帰ってくる数日前、父は入院してしまった。熱が38度を越えた父を病院へ連れていくと、誤嚥性肺炎と診断された。ずっと飲み込み

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夏日

夏日

 いつまで迷えば良いのだろう。朝から衣料品売り場で、男性の下着のズボン下を選んでいた。そう、昔で言う『ももひき』である。外は30度を越す夏日でも、冷房の効いた部屋は父には肌寒いかもしれない。さてはて、『ももひき』は薄手でいいのか?Tシャツくらいの綿100%の厚さでいいのか?わからないから、両方とも3枚ずつ選び、靴下も購入した。

 店を出ると逃げようのない猛暑。ギラギラした太陽と、照り返しからくる

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パールのネックレスと、ラベンダーとカモミールの香り

パールのネックレスと、ラベンダーとカモミールの香り

 降水確率90%の今日、大きめの傘を持って家を出た。英国人が好みそうな緑のタータンチェック柄の傘。一昨年、実家から貰ってきたものだ。杖なしで歩けなくなった両親は、その頃から自分で傘を持つことさえ出来なくなった。雨はすぐ止み、大きめの傘と、大きめのバックを抱えて実家へ行った。明後日からお世話になる、母のショートステイの荷物を揃えるために。

 買った靴下は履き口が伸びやすくて、足首が痛くならないもの

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追い詰められた感情を、海にそっと流して

追い詰められた感情を、海にそっと流して

 「お父さんの飲むエンシェアが無いの!病院に行って買って来てくれない!!」母からそう言われたのは、火曜日の夕方6時だった。エンシェアとは、病院の処方箋で出る栄養補助食品の飲み物。6時から病院は間に合わないので、薬局に売ってあるクリミールという栄養補助食品の飲み物を、とりあえず買って行った。

 母が言うには、エンシェアは日曜日から切れていて、父親は力が出ず昨日からぐったりしてたらしい。早く教えてく

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何処までも何処までも

何処までも何処までも

 湿気を含んだ風はどんより重かった。ベランダの薔薇は咲ききって、だんだんと黄色から白に変化してきた。少しだけ水をやり、指先で花をそっとなぞった。柑橘系の香りがする部屋へ入り、冷たくなったミルクティーを飲んだ。太陽は陰り、肌寒さを感じた午前11時、風邪を引かないよう薄手のデニムのパーカーを羽織り、実家へと向かった。



 家へ着くと早速、母の愚痴が始まった。デイサービスで入浴介助を受け、美味しい

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雨上がりの1日

雨上がりの1日

 窓を開けると柔らかい陽射しと、湿度を持った風が流れ込んできた。蕾をつけたミニ薔薇に水をやろうと、ベランダに出た。少し湿った植木鉢の表面を確かめながら、根元から水を与えた。凄い勢いで伸びる若い茎からは、赤く力強い葉っぱがにょきにょきと生まれていた。

 窓を全開にし、カーペットをベランダに干した。床にかんたんマイペットを吹き掛け、クイックルワイパーで擦り、仕上げに水拭きをした。アンティークローズの

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積み重ねていくもの

積み重ねていくもの

 6層式の鍋を買ったのはスポンジケーキを焼く為だった。最近はこの鍋で焼き芋を作るのが楽しみになりつつある。お好みの芋を洗ってアルミホイルで包み、鍋に敷き詰める。弱火で1時間ちょっと焼いて柔らかくなっていたら出来上がり。昨日は紅はるかで6本の焼き芋を作った。皮は少し焦げて中は黄金色、蒸したお芋とは比べものにならないほどの濃厚な甘みだ。

 今朝は雲ひとつない空だ。でも、黄砂が舞っているのだろう、白濁

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真実は人の数だけあって

真実は人の数だけあって

 トントントン、当たりが柔らかい木のまな板で白菜を切った。小鍋で昆布と煮干しの出し汁を作り、白菜と甘鯛のすり身を入れた。味噌は麦味噌。休日の朝は身体が温まるお味噌汁とご飯と黄色い大根のお漬物。Instagramには眩いほどおしゃな朝食が並んでいる。それでも妙齢の自分にはこれがベストだと胃袋がホクホク喜んでいた。

 

 今月は映画やドラマを見る事が多かった。今話題の【ドライブ・マイ・カー】、【ノ

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陽だまりの猫

陽だまりの猫

 休日の朝は目覚ましをかけない。夫は朝ごはんは食べない人だし、子どももすでに巣立って、私の睡眠を邪魔するものは何も無い。あぁ、幸せだと心から思う。魅惑の2度寝、3度寝を堪能した後、のろのろとベッドから這い出した時、時計は9時を指していた。

 いつものように、まず神棚の水を替えて『どうか健康で有りますように』と祈った。冷蔵庫を開けると昨夜の豚汁とご飯があったので、それに漬物を添えて頂いた。温めた豚

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平凡な日々

平凡な日々

 夜勤に入る前、夜食をスーパーで選ぶのが好きだ。夜食はどん兵衛と明太チーズパン、朝に食べるのはアンドーナツとステックココアを選んだ。襲いくる眠気を甘さで一途両断、8時45分の最終決戦まで戦い抜くのだ。一緒に入るスタッフにおすそ分けするお菓子も考えて、ちょっとビターなチョコレートを買った。うん、完璧な布陣だ。

 夜勤明けはゆっくりお風呂に入った。入浴剤を選ぶのも好き。炭酸ガスが出るタイプに泡がモコ

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