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病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈45〉

 自分は現実のペストに遭遇する以前から、ずっとこの病に苦しめられてきた。そして人間は誰もが、すでにこの病に取りつかれているのだ。
 そのように語るタルー自身の「病」の源流は、遡ればまさに彼の父親にあったのである。
 自身の父について、タルーはこのように語る。
「…僕は君みたいに貧乏じゃあなかった。親爺は次席検事をやっていたし、これはまあちょっとした地位だ。もっとも、親爺はそんなふうには見えなかった。生れつき気のいい人間だったんでね。(…中略…)簡単にいえば、つまり、そう風変りな人間ではなかったわけで、それも死んでしまった今では、生涯聖者のような生き方ではなかったとしても、一方また悪人でもなかったということが、僕にははっきりわかるんだ。親爺は中庸を守っていた−−それだけのことだ。そうして、こういうタイプの人間に対しては、分別のある愛情が感じられるものだ。つまり、そのまま続けていかせる愛情だ。…」(※1)
 要職にある父親を尊敬し、また自慢にも感じていた良家の子息。それがジャン・タルー少年期の肖像である。当然のように経済的な不安は微塵もなく、かといって豪奢な暮らしに溺れるわけでもない。そんな「中庸」の精神に貫かれた、穏やかで温かな家庭で育まれたジャン少年の自我は、「自分は清浄潔白だという考えを抱いて暮らす」ことに何の不都合もなかった。素直に純粋に、我が世界を支える「善」の確かさを、彼は信じきっていることができたことであろう。その象徴こそまさしく、彼の父親の人物像に集約させることができていたのだと思えるし、その倫理的精神の確かさは、ジャン少年自身の自尊心を形成する支えでもあったはずだ。

 そんな少年期をつつがなく送っていたタルーが十七歳となった頃、父は不意に息子に対して、自らの担当する裁判を傍聴するように誘うのだった。
「…事件は、重罪裁判所で開廷されるある重大事件で、きっと親爺は、自分がそのときいちばんりっぱに見えるものと思ったのだろう。それからまた、若い人間の想像力に訴えやすいその儀式張ったところが、親爺自身も選んだ道に僕を進ませる刺激になることも、当てにしていたのだと思う。僕は行くことにした。というのは、それは親爺を喜ばせることだったし、それからまた、親爺が僕たちの間で演じているのと違う役割を演ずる姿を見、声を聞いてみたい気がしたからだ。それ以上のことはなんにも考えていなかった。…」(※2)
 「何も考えることなく」ただそうすれば父も喜ぶであろうという、単純で幼い動機をもってジャン・タルー少年は裁判所に足を運んだ。
 裁判を傍聴するにあたって、彼にはもう一つ興味として抱いていたところがあった。自分の父親は一体、家族の前以外ではどのような顔を見せているものなのだろうか。しかし、その無邪気な好奇心が逆に、彼にとって事前には思いもよらない地雷となってしまった。
 その裁判において目の当たりにした光景、そこでの「いつもとは違う」父親の姿は、結果としてその後の人生を根底から揺るがし歪めきってしまうほど、彼のようにある意味純粋培養されたかのような育ち方をした少年の心には、あまりに大き過ぎて強過ぎる衝撃を与えてしまうこととなった。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 カミュ「ペスト」宮崎嶺雄訳
※2 カミュ「ペスト」宮崎嶺雄訳

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