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病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈14〉

 カミュは『ペスト』の創作ノートに幾度となく、「別れ別れになった人びと」という言葉を書きつけている。別離と断絶。もしこの作品に戦争のメタファーが反映されているとすれば、それはカミュが戦時下において実際に目にした、巷の人々のそのような姿なのであろう。そこになおさらの意味合いを考えるならば、当時フランスのおかれた悲劇は、その国内において人々がナチス協力派とレジスタンスという形に分かれ、まさに現実的で苛酷な別離と断絶が、いたるところにおいて顕著に起こってしまっていたということだ。
 しかしカミュは『ペスト』を、巷間よく言われるように自らのレジスタンス体験に直接かつ単純に重ね合わせて書いたのではなかっただろうということはすでに触れた。たとえもしそのような側面があるのだとしても、せいぜいそれは、たとえば自発的な集団であったという要素を保健隊の活動にダブらせている程度のものだろう。そこで描かれているのはあくまでも、このペストという災禍によって引き起こされた、人々の間における断絶と別離の普遍性なのである。

 ところで『ペスト』の作中、オラン市中にはペスト蔓延の以前から、実はすでに一種の「断絶」状態が存在していたのだと、リウーは医師の立場として見立てている。
 ペスト以前には、死ぬことに難渋する町、ゆえにそこで生きて活動し続けているためには何よりもまず健康であること、いやむしろとにかく「病人ではないこと」を要求されるかのようであったこの町の中で、まさしくそのように「まだ病気ではない」健康な人々と、逆にそこからこぼれ落ちるように「病気になってしまった」人との間に、忌避と憐れみの入り混じった断絶の様相は、すでに暗黙に存在していた。
 それが、ペストの発生によって今度は、オラン市民が全体として「病人扱い」されるようになり、するとその「丸ごと病人になった」オラン市民と、ペストとは無関係でいられているその外の世界との間に生じた断絶に、それが転移されることになったというわけである。
 
 一方で、「ペストは人々に個人的なことを断念させる」とリウーは言う。流刑、追放、拘禁。この謂れのない「集団的懲罰」の中で、たしかにオランの人々はさまざまなことを断念させられ続け、ついにはその顔から表情を失い、先の見通せない無為の日々を送るようになった。
 しかし、実際われわれは日々の生活の中で、日常的に実に多くの場面で「個人的なことを断念している」のではないだろうか。自らの体調、天候、相手との折り合い、経済の事情、そういった様々な「障害」が、日常的にそれぞれ個人的な思惑や計画などを断念させている。むしろほとんどそれが思うままに通ることの方が珍しいくらいだ。つまり人は、日々何かと「別れ別れ」になっており、それが人の日常なのであり、また条理なのでもあるわけだ。
 だがペストのような災厄が一斉にかつ大規模に、大勢の人々の個人的な事情を断念させるような事態になると、すなわち集団的に日常と呼べるもの自体のいっさいを断念させるような事態になると、そのような断念がそれぞれ諸個人の生活において日常的なものでさえあったことを、当の人々においてすっかり忘れさせてしまい、そしてそのような断念があたかも、そういう特別な事態のときにだけ起こる、特別な断念であるかのように思い込ませてしまう。
 そしてそのような特別な事態が過ぎ去り、人々の生活に日常が戻ると、人々はただそれだけで、その非常の日々の中で断念したものを、すぐさま取り戻すことができたかのように錯覚することになるのである。彼らが取り戻したのはただそれ以前のように、日常的に断念するような日々であるのにすぎないのに。
 しかし、たとえそのような日々であっても、非常なる断念を経過した人々にとっては、それもあるいは十分な恩寵にもなりうるのかもしれない。倒錯も時には人を幸福にする、ということであろうか。あたかも偽薬を服用しただけで直ちに病気が治癒したものと取り違えるかのように。
 ここでわれわれはまず何よりも、この倒錯の不条理に目を向けなければならないのではないか。このような錯誤が一体どれだけわれわれに、日常というものを見失わせていることか。それがまたどれだけわれわれに、「日常的な断念」を強いていることか。非常なる断念とは、むしろそのことをわれわれに気づかせる契機として用いられるものでなければならないのではないか。われわれはこの順序を、まさに日常的に取り違えているのではないのだろうか。

〈つづく〉

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