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つどつど更新 ・ 私はこんな人
生活のテーマは「楽しく暮らそう」こんにちは。ヨシモトモモエです。いつもは東京で「ふつうの会社員」をしている28歳です。まずは、このnoteに飛んできていただきありがとうございます。最近こんなことを考えます。
〈対面しての出会い〉もとびきり嬉しく楽しいけれど〈インターネットでの出会い〉によって、私の生活は自分の想像をゆうに超えました。この数年は特に、自分の人生に本当に欠かせない方々にたくさん出会っ
修行記録(2)感覚の指差し確認
修行の朝は早い。日の出の前には起きている。私は低血圧ゆえ、朝は昔のPCのように起動時間がかかってはうんとかすんとか言いながら、合理化したショートカットの髪を押さえて、宿舎を出る準備をする。宿舎には世代も出身も肩書きもバラバラな人たちが住んでいて、それぞれに身支度をし、朝から担当の場所を掃除して、神殿に向かう。
私は昔からあまり空の写真を撮る習慣がない。花が好きな母の影響で、花の写真はたくさん撮る
修行記録(1)ホームシックというより生活シックになった話
「あの、今、ちょっと修行で奈良に来ていてしばらく東京にいないんです.....」
楽しいお誘いの連絡をいただく度、そんなふうにお返事して「あぁ、この状況どう説明したらいいのかしら」って、普段よりもキー入力が遅くなる。説明がとかく難しい。でも、きっと、お相手のほうがこの情報に頭を抱えているはずだ。
私が修業に出る理由、「ぼくらが旅にでる理由」みたいに言ってみたのはいいけれど、11月の終わりにこんな
ちょっと東京を離れる、ちょっと
春が来るまでの間、心身共にはっきり言って超元気だけれど、訳あって会社はお休みする。離れることになった/離れることにした。会社は最高に楽しくてやりがいもあって、最高なので、やめる気が全くないため休職願いを書いた。「なった/した」の使い方を悩むくらいには、自分の意思だけでない部分と自分の意思が混ざり合う。
私の家業は祈る仕事だ。それは昔から、自分の意識が意識らしくなった頃からそうだった。私は徐々にそ
しっかりたべてげんきをつける
久しぶりのnote、1000日日記はどこかで止まってしまい、私はまだ20日あたりをうろうろしている。それでもあっけらかんと私は続けていく。あっけらかんとね。あっけらかんと生きている。
毎日お仕事が楽しい。毎日もうだめかもって300回くらい思うほど、自分のできてない部分に向き合うばかりだけれど、それでもお仕事が楽しい。歴史を作っているって肌感覚で感じる。結構いそがしいタイミングだけれど、いそがしい
氷なしのオレンジジュースで。
自動ドアに認識されないことが多い。私の時だけ、コントのようにそれはそれは開かない。ドアとの距離感がちょっと人様と違うからか、自動ドアに”人”として見てもらえない時にはちょっぴりさみしい。特に、自分の前にいた人は自動ドアが開いていたのに、自分の番になった途端開かない時なんて、あぁ、私って!私の存在って.....!と思わず頭を抱えたくなる。けれど、一応周りの目もあるし、自分の激情型な振る舞いを社会の標
もっとみる駅を抜けたら、過ぎた恋
移動距離が長い。
郊外に住んでいるので、都心にでるたびに電車によく乗る。毎日の通勤も下手したら2時間くらいかかってしまうし、本当にそれはそれは生きるのが下手である。移動時間は交通広告をみて文字の校正をするか、スマートフォンで音楽を探しているか、あとはニュースを見たり、ツイッターをみたり、次の食事を何にするかを考えたりのどれかが多い。
私にはほろにがい駅がある。「赤坂見附」と「溜池山王」だ。ほか
水分補給の促し、という愛
夏をはじめて迎えたかのように、毎年毎年、あらためて暑いのはなぜだろう。今年も、夏をまたはじめていくような日々。
最近、ふと、あれ?っとなることがあったので書き留めておきたい。ある朝、私が電車に乗ると
暑いから水分補給しながら過ごすんだよ!
と恋人から連絡がきた。
一瞬、どういう意味なんだろうと、自分の中でバグが起きてしまう。す、水分補給。。。ちょっと数分経って気づいたのだけど、水分補給の促
ボルタンスキー、生と死の輪郭
週末にボルタンスキーを観てきた。今日は水曜日も終わり、木曜日にさしかかるわけだけれど、今もなお、余韻は残る。
2015年頃だろうか、新潟県で行われた越後妻有トリエンナーレ大地の芸術祭に、私の会社がアーティストとして参加しており、私も新潟出張をしながら作品に関わっていた。
https://youtu.be/gmI92JEhJq0
当時、ボルタンスキーの作品「最後の教室」も芸術祭に出展されていて
モロヘイヤ食べたいや
朝起きたら(正確にはほとんど昼)、恋人からLINEが来ていて、それは甲子園についての話だった。甲子園か。そうだったか、夏も夏とて、8月も中旬なんだ。冷房を止めて、窓を開けて換気するとむうっと熱い空気が窓枠にまとわりつくように流れ込んでくる。顔を洗って、ひとまず麦茶を飲んで、ラジオを聴いて、メール画面でメールチェック。
昨日は朝から踊りをしていたからか、身体の奥がなんだか強張っている。またしても筋
踊りは口ほどに物を言う
長らくツイッターの波に揺蕩いながら、どこか表現そのものを信じられなくなってしまったり、何かを書くことが少し怖くなってしまって、キーボードをたたくことは仕事の時ばかりになってしまった。あんまり弱気なことは文字に起こさないようにしようと思っているのだけれど、感受性が裏目に出ることがこの数ヶ月は多くて、エネルギーを何に使うべきかを日々考えさせられている。
この土日は土日で踊りの稽古を4時間ずつぐらい入
ヨシモトさん、踊りません?
なかなか、まだ土曜日の話を書いている。今日は水曜日、もう木曜日になっているけれど、私はまだ土曜日の公開稽古の余韻をいい意味で引きづっている。
私は会社員なのだけれど、一度踊りの楽しさを知ってしまったからには逃れられずにいて、数年前は会社に隠れて振付の仕事をして食事で対価をいただいたり、一年前に複業が解禁されたので正々堂々とカンパニーが主催するオーディションを仕事終わりに受けては正々堂々と落ちたり
失われていく所作を考える
祖父母と同居しているもんで、数年前に自宅の工事をした。祖父母は2人合わせて、もうすぐ170歳。
なぜ2人合わせたのか分からないけれど、腰も曲がっているし、耳が遠い。耳が遠い2人の会話は、ミュージカルの一幕のようだ。
身振り手振りでを使いながら、腹から声を出し、伝えたい相手を見据えて感情を露わにする。たいていの場合、伝えたい相手は祖父なら祖母で、祖母なら祖父だ。お見合い結婚で知り合った2人はダイ
枝豆茹でればあの子は来る
母はまた枝豆を茹ですぎた。母は心配性だが楽観的で、お花畑のようなハッピーさを静やかにふりまく人だ。
私は実家に暮らしているのだけれど、来年には家を出る予定なのでおそらくこの夏が実家で過ごす最後の夏なのかなと思いながら、日々のなんでもない暮らしを見つめ直している。
夜分遅くに帰宅しても、母はたいてい仮眠をしている。洗濯物をたとまなくちゃと思いながら寝ていたり、人様に手紙を書こうとしながらそのまま