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森から溢れる光をみて。
木立の光は不思議な光。
現実のなかに幻想をみせる。
リアルだと信じているものこそが幻想で、もっと奥深くにその音があるのだと、そんな空間が世界に生まれるスペースをくれる。
迷ったら、大地に静かに立てばいい。
時には座って、足元から空の先までをジッと見つめてみたらいい。
その時、もしもふと、自分が世界で呼吸をしていることにきがついたら、感動で胸が張り裂ける。
それでもね、本当の死が訪
いのちのなかの生きる力。
わたしは元々の「暮らし」というものの立ち上げ方が、とても原始的なんだろうなーと、ふとおもう。
小さなころ、わたしが夢中でやったのは、森のなかで全ての流れを観察しながら在ること。
それから、人の営みの中にある水の流れを通じて、どうすれば濁った水が澄むのかを、ひたすら体験として、実践し、観察することだった。
その他、イタズラみたいなことも、大人から隠れてする子どもたちだけの遊びも、わたしだけ
拝啓 わたしの中のもうひとりのあなたへ
想像してごらん
わたしたちがどれほど怖がっていても、
世界はとっくに、ひとつ、だったって
想像してごらん
わたしたちがどれほど疑っていても
世界はとっくに、平和、だったって
ねぇみんな、あるがまま、世界をみられるかい?
入国審査は必要だったけど
国境はずっと、開いてた
VISAの発行は必要だったけど
生まれた国が違っても その国に滞在でき
片付けないけど、掃除する。
人生のなかで、ひたすら掃除をした時期があった。
生きてきたなかでいちばん体力がなくて、ずっと下がらない微熱と炎症のお陰で頭は比較的朦朧としていて、だけど、なんとか起きあがることはできて、だけどさまざまな理由から他にはなんにもできないような時期に、毎日、ひたすら掃除をしていた。
毎日、家中のホコリをとって、手で水拭きし、水垢をとって、ファブリックを洗い、当時、自分は当たることができなくなっていた
生命の言の葉あそび。
遊んだり、眠ったり、日向ぼっこしたり、お散歩したり、毎日の、生活をしたり。
そういうことと同じくらい、わたしは考えることが大好きなのだけど(そして同じくらい"かんがえない"ことも好き。笑)、最近は、"病氣"という状態の、人間的認知について考えている。
移り変わる自然は情緒を孕んで、人間はそこに生命の本質をみつめたりするけれど、自分自身は変わらないように‥‥正確にいうと、"変わっても、変わら