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「身勝手な”気分”屋さん」
人間ってすごく身勝手な生き物だと思う。
お腹がすいたからご飯を食べることは生き物として自然だけれど、
頭に血が上って求めていない身体に食べ物を押し込むこともある。
”気分”は人間の特徴の1つだ。
それがないと、(今の時代だからこそ)ありきたりなロボットになってしまう。
けれど、”気分”は人間を「幸せ」にも「不幸」にもできる。
いつの間にか、”気分”の渦に巻き込まれて…
気づいたら1人ぼっち
求められることがいつも正しいとは限らない
首を寝違えてとても痛い。
寝れない夜を過ごし、1人電車に揺られる。
今となっては"非日常"となった出勤という重みがのしかかる。
それでも、人と会える楽しみもあることに気づく。
その感覚は、リモートしてから初めて知った感覚だった。
リモートは正解だけど、全てが正しいとは限らない。
それは人間関係だって同じように思う。
誰かの様子がおかしい時、「声をかける」「放っておく」「他の知人に様子を尋ね
”寛容”に振り回される人生
人はどこまで”寛容”になれるのか。
ふと、思うことがある。
それぞれ個人の脳や心のキャパシティは決まっていて、それでいて自覚している人はどれだけいるのだろう。
あるとき、「プツリ」と切れる瞬間がある。
あるとき、何年も容姿をからかわれていた友人が。
あるとき、家に帰らず会社に籠っていた同僚が。
あるとき、温厚だった恋人が。
倒れたり、発狂したり、姿を晦ましたりする。
他人にも、本人にもわ
「おめでとう」は言いたくない
私が初めて妊娠した人の姿を見たのはきっと、弟が生まれる前だろう。
記憶には鱗片も残ってはいないけれど、確かにそこに妊娠した母の姿があったはずだ。
流行病というには酷く残酷なウィルスが世界に蔓延しているが、この時期に命を授かるという重みはそれぞれに圧し掛かるだろうと想像する。
今夜私が話すのはコロ助(コロナ)の話ではない。ある知人の物語だ。
"知人"とは上手く言ったものだが、私は"知人"ではない
深夜のカーテン向こうは大切な何かを気づかせてくれる
夜、何を想うか。
20歳を超えて滅多に訪れることの無い静寂。
私は1人だ。灰色1色の部屋の内装が、カーテンを開けただけで淡い光に包まれる。
オオカミが出てきそうな夜だ。
人がこんなことを思うのは、1人になって広い世界を垣間見た時。
普段気にすることの無い、虚無な空、空気。
案外、私は嫌いじゃない。
一人暮らしをしていない身だと、もう当分訪れないであろう瞬間だ。
私は食い入るように、窓か