さがしものさがし

あたらしい世界が開けるその瞬間を和やかに、そして厳かに書き留めることができたなら、私が…

さがしものさがし

あたらしい世界が開けるその瞬間を和やかに、そして厳かに書き留めることができたなら、私が表現することの価値はあると考えています。

マガジン

  • 思いついたときに書く、直接、ここに

    思いついた時に、直接、ここに書いたものを置いています。簡単に言えば、あんまり何も考えずに書いています。

  • 文学

    一週間の日記が一番文学らしいので文学と名付けています。読んでもらうと私という人間がどのような人間と関わり、どのような人間になりたいかの片鱗がわかるかもしれません。

  • 一本道

    他の可能性を無視する形で走ることでその一本道に多様な可能性を呼び込もうとする天邪鬼な文章実践です。

  • 私の基本的立場

    自分が基本に据えているもしくは据えてしまっていることを書いています。私の基本的な論の進め方や前提について書いてあると思って貰えばいいと思います。

  • 書きたい時に書いたこと

    書きたいなあ、って思った時に書いたものを、残しておくところです。

記事一覧

読書はなぜ楽しいのか 4(私は哲学が好きらしい)

眠たいが書いてやろう!やる気だやる気! こんなキャラではないのだが書いてみようと思う。 結構眠たい。おそらく寝ようとしたらすぐに寝れるだろう。しかし、書くといっ…

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ネガティブとか考えすぎとか

さてさて、私は本当にネガティブで、私は本当に考えすぎなのだろうか。 ネガティブとか、考えすぎとか、そういうことについて考えたいのだが、どのように始めたらいいのか…

私のエネルギーを削ぐもの

私のエネルギーを削ぐもの。その共通点を発見したい。 私のエネルギーを削ぐもの、それはおそらく「AのためにBをする」という形式である。もう少し踏み込んで言うとすれば…

『対比と類比という対比』

2024/5/13「対比と類比という対比」 何もしたくないなら何もしなくてもいい。別に誰も何も言わない。そのまま何もしたくなかったら死ぬだけだ。 私は先受けしているのだ…

疲れきった頭で考える

なんだか頭がとても重たい。今日は展覧会に行って三時間強、頭を休ませることなく、いや後半は少し休ませていたが、ほとんど限界まで頭を使ったので誰か知らない人に、いや…

私が興味を持てないこと

私が興味を持たない、いや、持てないことについて書いてみよう。もちろん、真に興味を持っていないものはここに現れない。ただ、「興味を持てないなあ」と思うものは現れる…

「ぶりっ子」について考え直す

「媚びる」ことについて考えよう。 「媚びる」というのは「ある目的を達成するためにある特定の振る舞いを選ぶ」ことであると考えられるだろう。例えば、「ぶりっ子」は「…

「人間観察」をする私を観察する

私はいま、おそらく「人間観察」と呼ばれるようなものをしている。しかし、私は極度に人間をモノ化している。機械化している。その振る舞いを解釈するためにか、そもそもそ…

恋愛について考え始めたかった

恋愛について考えてみよう。それは『恋愛の哲学』の第二章まで読んで違和感があるからである。こうした違和感は往々にして最後まで読めば氷解するものである。しかし、私は…

生活と読み書きの関係についての覚書

 私の「生きる」は「書く」と「読む」の連関によって規定されている。そんな気がする。言わば、この二つは同一のこととなっている。いや、精確に言うなら二つのことが同一…

「作品を作る」こと、「作品を受容する」こと

 これは私の「作品」に対するスタンスを明確に表現したアフォリズム?である。いや、精確に言うなら「作品を作る」に対するスタンスを表現したアフォリズムである。  私…

死への遠回りとしての人生

ここからの君は私のことである。 君はどうして「別に」と言って目配せするんだい? 別にいいじゃないか。 別にいいんだよ。でもさ、なんだか不思議なんだよ。君は何も気…

辻褄を合わせたがる私たちとそれすらできない私

この文章は推敲者も執筆に参加している。その箇所は[]の括弧で示す。その他は推敲前も書かれていたものである。だから()ももともと書かれていたものである。 特に考えた…

「右左どっちで左翼になった人」

我々はもったりした、そのような持続性によって苦しんでいる。が、その持続性なしに何もすることはできない。いや、何かすることはできるがその何かが何であるかを決めるこ…

『イズム-イズムのわからなさ』

2024/5/6「イズム-イズムのわからなさ」 マッチョイズム、ニヒリズム、そしてイズムイズム。 おそらく私の違和感はイズムイズムに向かっている。しかし、それはあまりに…

「人生の意味とは何か」という問いがまだつまらない

私は人生の意味について考えているらしい。しかし、これは伝聞なので実のところ何について考えているのかは知らない。 理由を作るときに固有の力学が働くということを等閑…

読書はなぜ楽しいのか 4(私は哲学が好きらしい)

眠たいが書いてやろう!やる気だやる気!

こんなキャラではないのだが書いてみようと思う。

結構眠たい。おそらく寝ようとしたらすぐに寝れるだろう。しかし、書くといったら書く。明日の朝に推敲して出す。そういうことにした!

私にはニーチェのような意欲に溢れるイクスクラメーションマーク(!のこと)は使えない。私はただ駄々をこねるようにしか使えない。

落ち着こう。やけくそのときにこそ書けることがあるか

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ネガティブとか考えすぎとか

さてさて、私は本当にネガティブで、私は本当に考えすぎなのだろうか。

ネガティブとか、考えすぎとか、そういうことについて考えたいのだが、どのように始めたらいいのかがまるでわからない。

例えば、「自分はどう考えても無能である」と言っている人は「考えすぎてネガティブである」と言えるだろう。おそらく。ここから考えてみよう。そういうふうに思うのだが、困ったことに私はそう考えていない。しかも、そのように考

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私のエネルギーを削ぐもの

私のエネルギーを削ぐもの。その共通点を発見したい。

私のエネルギーを削ぐもの、それはおそらく「AのためにBをする」という形式である。もう少し踏み込んで言うとすれば、そのような形式で理解されることである。もちろん「理解」にも自由度がある。その自由度が低ければ低いほど、私はエネルギーを削がれるのである。

もちろん、「AのためにBをする」という形式を拒むことはできる。しかし、「できる」と「する」は違

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『対比と類比という対比』

2024/5/13「対比と類比という対比」

何もしたくないなら何もしなくてもいい。別に誰も何も言わない。そのまま何もしたくなかったら死ぬだけだ。

私は先受けしているのだろうか。私は私の作品が死後に残ろうと残らまいとなんでもいい。と、しきりに言っているし、「私が死んでも作品は生き残るはず。」と言う人に対して違和感がある。しかしこれがもし、私自身の自信のなさの表れ、それがバレないようにするための工

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疲れきった頭で考える

なんだか頭がとても重たい。今日は展覧会に行って三時間強、頭を休ませることなく、いや後半は少し休ませていたが、ほとんど限界まで頭を使ったので誰か知らない人に、いや、知っているけれど特に特定のモデルがない人に話していることにして頭のガスを抜こう。その労働、頭の重労働からもう6時間弱経っているのだが頭が重くて仕方がない。寝たのにもかかわらず治らなかった。困ったことだ。

理解というのは対比を見つけること

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私が興味を持てないこと

私が興味を持たない、いや、持てないことについて書いてみよう。もちろん、真に興味を持っていないものはここに現れない。ただ、「興味を持てないなあ」と思うものは現れるだろう。さらに言えば、そのことについて考察することで私のことがよりわかるようになるだろう。

私が興味を持てないのは「歴史」である。もう少し精確に言えば、いま目の前にあるものの背景としての「歴史」である。さらに言えば、「歴史」の構造について

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「ぶりっ子」について考え直す

「媚びる」ことについて考えよう。

「媚びる」というのは「ある目的を達成するためにある特定の振る舞いを選ぶ」ことであると考えられるだろう。例えば、「ぶりっ子」は「愛されるという目的を達成するために愛してほしい人が好むような振る舞いを選ぶ」ことであると考えられるだろう。しかし、これは「媚びる」ことの本質には届いているのだろうか?というのも、私たちは「ある目的を達成するためにある特定の振る舞いを選ぶ」

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「人間観察」をする私を観察する

私はいま、おそらく「人間観察」と呼ばれるようなものをしている。しかし、私は極度に人間をモノ化している。機械化している。その振る舞いを解釈するためにか、そもそもそのような見なしを隠すために解釈を強調しているのか、それはわからないがとりあえず「人間観察」のようなものをしている。

趣味を「人間観察」と言う人に出会ったことがない。というか、あまり他人の趣味を知らない。何人かの友人の趣味を脳内で検索したが

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恋愛について考え始めたかった

恋愛について考えてみよう。それは『恋愛の哲学』の第二章まで読んで違和感があるからである。こうした違和感は往々にして最後まで読めば氷解するものである。しかし、私はそれを踏まえてもなお反論したいことがあるのである。

ちなみに私は戸谷洋志に反論したいことが多い。少し前もそういうものを書いた。いや、かなり前にもそういうものを書いた。この世にはおそらく三種類の著者がいる。自分を除くと。一人目は反論したくな

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生活と読み書きの関係についての覚書

 私の「生きる」は「書く」と「読む」の連関によって規定されている。そんな気がする。言わば、この二つは同一のこととなっている。いや、精確に言うなら二つのことが同一化されて私の「生活」のイメージはできている。それは次のような式で表せる。(=の適当さは許してほしい。)

 今日はこの定式を捉え直してみたい。主に捉え直したいのは「生きる」と「読み書き」はどう違うか、ということである。(ちなみにおそらく×は

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「作品を作る」こと、「作品を受容する」こと

 これは私の「作品」に対するスタンスを明確に表現したアフォリズム?である。いや、精確に言うなら「作品を作る」に対するスタンスを表現したアフォリズムである。
 私は私の作品が大好きである。これは何度も言っていることである。しかし、これは私の名前が記された作品が好きということでもないし、状況証拠的に私が書いたとしか言えない作品が好きということでもない。私は「作品を作る」ことになった何か、それを感じたと

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死への遠回りとしての人生

ここからの君は私のことである。

君はどうして「別に」と言って目配せするんだい?

別にいいじゃないか。

別にいいんだよ。でもさ、なんだか不思議なんだよ。君は何も気にしていないみたいな顔をして方々に気をつかっている。それがなんだかおかしくてさ。別にいいんだけどね。

君はどうして死にたがっているんだい?死にたがってなんかいないよ、とは言わせないよ。君は「トラックが突っ込んできてくれたらいいなあ。

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辻褄を合わせたがる私たちとそれすらできない私

この文章は推敲者も執筆に参加している。その箇所は[]の括弧で示す。その他は推敲前も書かれていたものである。だから()ももともと書かれていたものである。

特に考えたいことはない。というか、「これについて考えましょう。」という「これ」がない。が、とりあえず実践として何か考えてみることにしよう。なんだか久しぶりに健康なので。

この「健康なので」というのは理由づけである。しかし、理由なく考えてはならな

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「右左どっちで左翼になった人」

我々はもったりした、そのような持続性によって苦しんでいる。が、その持続性なしに何もすることはできない。いや、何かすることはできるがその何かが何であるかを決めること、共有することはできない。それゆえにその苦しみは必然である。しかし、それが苦しみであることは必然ではない。

病気や苦痛はこの必然性の一つの発現である。

しかし、持続性なしの決断などあり得るのだろうか。のっぺりした持続とみょんのりした持

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『イズム-イズムのわからなさ』

2024/5/6「イズム-イズムのわからなさ」

マッチョイズム、ニヒリズム、そしてイズムイズム。

おそらく私の違和感はイズムイズムに向かっている。しかし、それはあまりに大きな問題である。手に余る問題である。それゆえに私はそれをマッチョイズムとかニヒリズムとか、そういう問題であると考えようとしている。私にはそう見える。ただ、たしかに君の言うようにこれは計画された誤認なのかもしれない。

周りから

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「人生の意味とは何か」という問いがまだつまらない

私は人生の意味について考えているらしい。しかし、これは伝聞なので実のところ何について考えているのかは知らない。

理由を作るときに固有の力学が働くということを等閑視することはできないだろう。

偏頭痛は頭が常に内側に畳み込まれているような痛みを持っている。

まあ、一旦考えてやろう。考え始めてやろう。「人生の意味とは何か」ということを。

そのための手がかりとして『人生の意味の哲学入門』の第一章で

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