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『対比と類比という対比』
2024/5/13「対比と類比という対比」
何もしたくないなら何もしなくてもいい。別に誰も何も言わない。そのまま何もしたくなかったら死ぬだけだ。
私は先受けしているのだろうか。私は私の作品が死後に残ろうと残らまいとなんでもいい。と、しきりに言っているし、「私が死んでも作品は生き残るはず。」と言う人に対して違和感がある。しかしこれがもし、私自身の自信のなさの表れ、それがバレないようにするための工
「右左どっちで左翼になった人」
我々はもったりした、そのような持続性によって苦しんでいる。が、その持続性なしに何もすることはできない。いや、何かすることはできるがその何かが何であるかを決めること、共有することはできない。それゆえにその苦しみは必然である。しかし、それが苦しみであることは必然ではない。
病気や苦痛はこの必然性の一つの発現である。
しかし、持続性なしの決断などあり得るのだろうか。のっぺりした持続とみょんのりした持
『イズム-イズムのわからなさ』
2024/5/6「イズム-イズムのわからなさ」
マッチョイズム、ニヒリズム、そしてイズムイズム。
おそらく私の違和感はイズムイズムに向かっている。しかし、それはあまりに大きな問題である。手に余る問題である。それゆえに私はそれをマッチョイズムとかニヒリズムとか、そういう問題であると考えようとしている。私にはそう見える。ただ、たしかに君の言うようにこれは計画された誤認なのかもしれない。
周りから