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お寺の国のクリスチャン (小説)

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留学先のアメリカでイエスキリストに出会い、人生を変えられてしまった真木さんは、じつは信州の旧家の跡取りだった。故郷で彼を待ちかまえている、封建的な家制度から逃亡すること二十年。つ… もっと読む
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記事一覧

その先にあるもの (短編)

その先にあるもの (短編)



*この小説は作り話であり、
実際の団体や人物とは関係がありません*

 「そう、そうね、大変じゃないなんてことないわ」

 歌うように、彼女は言った。泡だらけのスポンジを手に、汚れたカレー皿と戦いながら。かろやかな音楽を漂わせた、いつまでも夢みる少女のようなひと。その傍にいて感じるのは、心のなかにある涸れない泉の存在。ぼくでなくとも、ついつい引き寄せられてしまう。

 「なんでいまさらそんなこ

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砕かれる (短編小説)

砕かれる (短編小説)


これを二年前に書いたとき、
「今回のは素晴らしいよ!」
と牧師が初めて褒めてくれました。
「心砕かれるための学校」について、
その学校の先輩である彼と
話し合ったことがあった
からかもしれません。

その学校に入ったつもりでいて、
わたしはまだまだ塊のままです。
わたしもあんなふうに、
柔和に、キリストを映せるように
なりたいのですけれど。

そのことを思い出して、
未熟な文章を整え、
すこし書

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invasion

invasion

いま感じていること、
考えこんでいることを、
小説のひとたちの口を借りて、
ひそやかに、ひっそりと

   

 
 戦前に建てられたお屋敷の、ひろい西洋間に散らばりながら、三人はじっとBBCの放送に耳をそばだてていた。とおく遠くの隣国の雪は、べったりと血にまみれている。ほかのことはあまり手につかない。紬のきもの姿の八枝は、縫いかけの刺し子を手にしているが、針はずっと宙に浮いたままだ。この教会の牧

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我々はどこから来たのか

我々はどこから来たのか

 これは、わたしの一冊目の本、
「暗闇の灯」のなかから抜粋した、
『我々はどこから来たのか……』
について語っている場面です。
その舞台、信州松本の写真を添えて。

 「このあいだ妻と、街でやっていたアートの展示を見に行きました。ぼくら夫婦は古い人間なので、現代美術はほとんどわからない。けれどそのなかに、ぼくの目を惹いた作品がひとつありました。それは『光あれ』以前の世界を問うというものでした。『我

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揺らぐことない都 (短編)

揺らぐことない都 (短編)

*この小説は作り話であり、実際の団体や
人物とは関係がありません*

↓あずさの車中で

 「まつもとぉ、まつもとぉ」

 というノスタルジックなアナウンスとともに、鷲尾夫人はまあたらしい桔梗色の列車を降りた。やっぱり寒いわ、と灰色のコートの襟を正して、どこか寂しげな、味気ないホームを見回す。いいえ、まだだわ、雪をまとった常念岳を見なくては、わたし、故郷に帰ってきたという気がしないの。

 改札を

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わたしのものではない戦争 (短編)

わたしのものではない戦争 (短編)


*この小説は虚構であり、
実際の団体や人物とは
なんの関係もありません*

 地獄の底から響いてくるような声だった。まずは小さく始まって、「ゥゥゥウウウ」という唸り声はすぐ「ウワアアアアアアア」という叫びに変わった。大丈夫? と仄かな灯りに照らされた寝顔を覗くと、苦悶の表情。けれど夢からは決して覚めない。

 彼がどのような地獄を見てきたのか、わたしにはわからない。けれど毎晩のように聞かされる叫

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Take up the cross  ―お寺の国のクリスチャンの余話―

Take up the cross ―お寺の国のクリスチャンの余話―

 真木和泉さんの証しを、すこし書き抜いてみたい。信州の旧家に、跡継ぎとして生まれたひとの証し。「自分の十字架を背負って、わたしに付いてきなさい」とキリストに言われて、その言葉通りにしてしまったひとの証し。

この存在のすべて (短編)

この存在のすべて (短編)

*この小説は作り話であり、実際の団体や人物とは何の関係もありません*

 あの日の記憶を、始めから終わりまで筋立てて話すことは出来ない。ふたりで常念岳に登った日の記憶は、もう薄れかかっている。映像のように、あの日撮った一連の写真のように、静止画のようにしか思い出すことは出来ない。

 黙々と暗闇を歩いてきた田口と真木は、ようやく朝日の射してきた頃、沢のほとりで休んでいた。朝の森はオレンジ色に輝いて

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短編 「恋に落ちれば」 シリーズのはなし

短編 「恋に落ちれば」 シリーズのはなし

 イエス・キリストと恋に落ちることをテーマに、短編を連ねるようにして書いています。

 「恋に落ちれば」は、いろんなひとがてんでばらばらに語る短編集で、信州松本にある架空のちいさな教会のひとたちが、主たる登場人物である。

 ずっと主人公だった真木和泉さんが、ついにキリストの為に命を捨ててしまうところから始まって、あるひとは軽く、あるひとは深く、イエス・キリストに触れていく。

 「水晶の夜」と「

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黄金の翼に乗って (短編)

黄金の翼に乗って (短編)


*この小説は作り話であり、実際の団体や人物とはなんら関係はありません*

 「ばぁ ぺんしぇーろ、
 すらーり どらああて」

 そう歌が口をつきそうになって、鷲尾夫人は自分を嗤った。六十幾つになるくせに、黄金の翼に乗って、故郷に飛んでいきたいだなんて。彼女の乗った特急は、いま故郷の信州に向かっている。これだって黄金の翼と言えるかもしれない。

 年を取ったからかしら、夜ごとに故郷の夢を見る。あ

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永遠の凪 (短編)

永遠の凪 (短編)


*この小説は作り話であり、実際の団体や人物とはなんの関係もありません*

《the Eternal Calm》

 歌。いささか外れたソプラノが、夏の夕暮れに揺らいでる。高い木々のそよぐ、広い庭の蝉たちに紛れてしまいそうな、泣き明かしたあとの、絶え絶えの声。古い屋敷の、曲がりくねった廊下の一角に立ちながら、ぼくは、もっと近くへ、その音が漏れてくる座敷のなかを窺おうと、薄明かりの廊下を忍んだ。

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見殺しにはできない (短編)

見殺しにはできない (短編)

 《I can't let you die like this》

 
 葉書のうらの小さな地図でたどり着いたのは、まさかこんなところにギャラリーが、というような場末の通りだった。飲み屋の並びにある古いビルの、裏階段から二階に上がった部屋を、もうすぐ閉廊という時間をねらって灯は訪れた。細い路地の直線のような空に月がかかっていて、もうすこしで満ちそうな晩だった。

 灯の姿をみて、ひとりパイプ椅子に

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逃げたいという願望 (短編)

逃げたいという願望 (短編)

*この小説は作り話であって、実際の団体や人物とはなんの関係もありません*

 《A desire to get away》

 
 ある思いに取り憑かれていた。それは逃げたいという願望だった。突然だった夫の死の後、まだ心の整わないうちから、相続だの事業継承だのの手続きに追われて、いつしか八枝はすべてを捨てて逃げてしまいたい、と思うようになっていた。

 昨日と今日とに境はなかった。あるのは手続きの

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みうではわれを掻ひて抱かふ (短編)

みうではわれを掻ひて抱かふ (短編)

*この小説は作り話であって、実際の団体や人物とはなんら関係がありません*

 《the divine embrace》 

 よせてはかえす波を見ていた。青緑色をしたしずかな曇天の海を。なんだか恐竜でも現れそうな原始的な海だった。薄明かりの空に、いまにも翼竜が飛んできそうだ。雨に濡れた、砂鉄色の波打ち際にしゃがみこんで、ぼくたちはただ無言で海を眺めている。

 「ヴィクトリア女王のレースみたい」

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