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なんだか人生にお腹いっぱいという話
どうもどうも。
人生ってなんだろうって考える時ない?
誰でも1回くらいあるよね。
で、いろんな人が「人生とは」っていう問題に答えてるじゃない。
「人生は、終わりのないマラソンのようなものだ」とか
「人生とは、生まれてから死ぬまでの暇つぶしである」
みたいな感じのやつね。
ていうか終わりのないマラソンってすごいキツそうね…。
要するに、今の自分の気分とか、経験とか、そういう自分なりのものを
日々の積み重ねが大事な理由は、人生が無意味だから
あらゆる生命は無意味である。
僕もあなたもあの人も、何の価値もないただの生命。草木や動物と同じだ。
だからこそ、不貞腐れて、投げやりに過ごしてもつまらない。
無意味な人生を斜に構えて、漫然と過ごせばそりゃあ無意味に終わる。
意味が欲しければ、作るしかない。
それは誰も教えてくれない。
学校の先生も職場の上司も両親でさえも知らない。
僕ら自身ですらまだわからない。
人生は等しく無意味で、退屈
「自分語りはダサい、野暮だ」「いいや、むしろカッコよくて有意義だ」
「私の若い頃はね…云々」
「私って、ほら、〇〇じゃん…」
「うちの職場がさあ…」
「俺なんかさぁ…」
あの人はいつも自分の話ばかりでつまらない。
聞いてもないのによくもつらつらと。
自分語りする人ってダサいよね…。
んんん?いや待てよ。
本当にそうだろうか。
もしかしたら、これはいかにも人間にとって重要な営みなのではないかと。そう思うわけです。
今の僕は「自分語り」についてこう思うのです。
日記40冊、メモ1900件書いて分かった3つのこと
5年くらい前から日記をつけるということを習慣にしています。
それで、気がつけば割と大変な量になっていたんですね。
改めて並べて見てみると、何とも感慨深いものがあったりします。言ってしまえば、ただの紙の束なんですが、なぜだか達成感のようなものがあって、我ながら中々やりよるなぁと感心しております。
僕でこれだけだから、ふだん物書きの仕事をしている人なんかはもっと凄いんでしょうね。
紙の置き場に