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【問答の力】身体で起きることを頭でなんとかしようとすると複雑になる
昨日、一昨日と面白いことがあったので書いてみる。
精神科医の方のミーティングに参加して色々感じることがあり、その翌日にボディワーカーの方と話してストンと腑に落ちた話。
精神科医の方の自然な姿
一昨日、精神科医の方を交えたオンラインミーティングにまた参加したのだけど、
1回目は様子見で「聴く」のみだったのが、2回目は思い切って先生とディスカッションできるチケットを申し込んでみた。
そこで話さ
恨みが生き生きした感情に戻る
怒り①
昨日と今日も、怒りが出てくることが何度かあった。
ここに書いてみて、ちょっと整理したいと思う。
1つは、少し前に(昔もよくあったのだけど)蕁麻疹が数日続いたことがあって、たまたま卵を立て続けに食べた時だったので、アレルギー不安というのかな、食べるのを控えていた。
(この、何かを口にした時に「体調を崩すかも」という不安は、一種の不安症的な感じだと思うのだけど、とある出来事があってからこの
虹を見た朝 - セルフダイアローグ
先週から、家の周りを歩けるようになった。
不安は消す必要はないよね。
不安でもいい、体調を崩してもいいよね。
って、そんな気持ちになってきて
歩こう、歩きたいという思いが自然に湧いてきた。
SNSを休んだことで、美しい景色を見ても、
大好きな鳥を見ても、植物を見ても、
「シェアしよう」という外向きの意識が休まって
何かを目にして、耳にして、自分一人でただただ味わう。
何かを目にして、耳に
ひと月を振り返る - 心の声を聴く
自分のために始めたことが、変わっていく
自分のために、ひと月を振り返りたくなったので書いてみる。
パニック再発から2ヶ月ほど経った頃(ひと月前頃)に、いつの間にか表面的な場所にしてきた世界(fb)と、今の心との壁を「ぶち抜きたい」という衝動が来て、本名でのnoteを書き始めた。
最初は、ほぼほぼ素直に率直に書けていたような気がする。けれど、だんだんと自分でも気づけないくらいの感覚で外意識になっ
人から愛される為に、一番大切な自分への愛を捨ててしまう
発作からの出来事 - 散歩に行けない久しぶりのパニック発作から2ヶ月ほどが経った。
本当に濃く、辛かったし、色々なことがあった。
パニック的なものとの付き合いは5年ほど。調子が良く無い日も、散歩をすると体が巡って落ち着いたりしていたから、遠出できなくても、散歩ができるということがささやかな楽しみでもあったけれど
2ヶ月前の発作の時は、急激にエネルギーが上がってきてオロオロしてしまい、咄嗟に「歩
「生の自分」を変形させる生き方と場の力
抑圧(変形させる生き方)と身体的な症状10日ぶりにnoteを書く。先週はずっと頭痛が続いていて、とにかくそういう時はパソコンもスマホも見るのは辛いので、ただただ寝ていた。
体調が悪い時に無理をしなくなったことは随分な変化なのだけど、自分が感じていることとして、生理中というのは抑圧しているもの・隠れているものが表に出てきやすい感覚がある。
よく生理中に「イライラする」とか聴くけれど、それはきっと
ジャッジメントせず俯瞰する視点と、「規定」せず瑞々しく聴く謙虚な姿勢
起きていることが「悪いことではないんだ」と思えると、今を味わいやすくなる
今日はボディーワークデイだった。身体としてはだいぶ気が満ちて来ていて、目にも力が戻ってきてるとのこと。身体ってやっぱりすごい。
1ヶ月前は、パニック再発のものすごい不安感や混乱でどうにもならず、何日間かは安定剤を飲んで過ごすほどで、その後も不安定な日々は続いた。
それでも、今私が縁している人は「病=良く無いもの」という
エヴァンゲリオンのアニメ版を全話見てみた
新世紀エヴァンゲリオンは、なんとなくずっと気になってはいたものの、あの世界にはとっても深い痛みが流れているような感じがして、なかなか踏み込めなかったのだけど
それでも、ここ最近の「痛みや苦しみは悪いものではない」という新たな認識が少しずつ始まったおかげで、よし、観てみるか!という気になった。
昨日、アニメ版26話すべて見終わって、いやぁ・・・こんなに精神的なアニメが1995年にやっていたなんて
少数派を生きる人とスピリチュアルコミュニティ
自分という人間がよくわからなかった
私はずっと、何か「これだ」と思ってやり始めると、時間も忘れてそれだけをやり続けてしまう。「満遍なく、バランス良く」ということは、人生には皆無。
実家の自分の部屋は物がどんどん積み上がっていって、でもひとたび片づけ始めると徹夜して片付けてしまう。
無くし物は当たり前、出したものはしまうことを忘れてしまう。学校に行く時は毎日、財布や鍵、定期券が見つからずにわー
「今日はあなた(自分)を守ることができたよ」と言えて眠れた昨日の話
もうひとつの面にスポットを当てていくような2週間
昨日の投稿の最後の方にも書いたので、少し重複してしまうけれど、昨日はとっても濃い1日だった。
ここ2週間ほどは、社交的(に見えて)で明るく芯のある自分、という言ってみれば自分の片面のみを切り取って外に見せていたようなところから、
実はその面と同時に存在している、傷つきやすく、落ち込みやすく、人の言動に左右されやすく依存しやすい、とっても弱い自
このままの自分でいい、弱い自分のままでいいという道の途中
揺れ動きながら日々歩んでいる
昨日noteにぐちゃぐちゃな1日を書いてみて、その後はスマホのメモ帳に、音声入力してそのまましゃべってみた。
こんな体感(息苦しさとか)は辛い、病気でいることがやっぱりつらい、苦しい、変わりたい、もう病気でいたくない。そんな気持ちがわーっと次々に出てきた。
ひとしきり出してみて、やっぱり思ったのは「焦っていたな」ということ。「病気は悪いものじゃない」と思おうとい
ぐちゃぐちゃになった今日という日を振り返ってみる
呼吸の浅さ
なんとなく昨日くらいから「呼吸が浅くなってるな」と思いながら、何が言いたいの?と自分に声をかけてもうまく自分の声がキャッチできないでいた。
寝て起きたらまぁ大丈夫かな〜なんて、柔らかくみていたのだけど、今日の午前中もやっぱり呼吸が浅いなと感じつつも、声がキャッチできず。
苦しいなとか、辛いなとかは出て来るのだけど、なんとなくストンとこず。築き上げてくるようなエネルギーが落ち着かな