見出し画像

折口信夫 『死者の書・身毒丸』 : 〈同性愛者という貴種〉 の流離

書評:折口信夫『死者の書・身毒丸』(中公文庫)

「死者の書」と「身毒丸」。いずれも、読みやすい作品ではない。
松岡正剛が「千夜千冊」『死者の書』を採り上げ、絶賛しながらも、次のように書いている。

『 これまでぼくも本書を多くの者に薦めてきたのだが、その薦めに応じて『死者の書』に向かってくれた者の大半が、どうも話の筋がつかめず、しかも古代語が散りばめられすぎていて、なんだかよくわからなかったと言っていた。なかには多少とも折口民俗学を齧ってきた者は、「松岡さん、折口信夫はこの作品にかぎっては混乱しているんじゃないですか」とも言い出した。
 混乱であろうか。もし混乱があるとしたら、それはこの時代の人々の語りそのものの混乱なのである。筋書をもたない者の古事伝承の方法に、折口は従ったまでのことなのだ。しかし、そのように見るのも、実は当たらない。』

松岡正剛が「読んでみろ」とすすめる相手なのだから、それなりの読書家たちなのだろうが、そうした人たちをしても、一読で理解するのは困難なのだから、私たち一般読者が、一読でわからないのは当たり前。むしろ、一読でわかったようなことを言っている人の方が、じつは(松岡正剛を含めて)怪しいのである。

「死者の書」が読みにくいのは「古代語が頻出する」「読み慣れない、古代のお話」といったことのほかに、「視点の超時間的転換の唐突性」ということが大きいようだ。
というのも、冒頭の「墓の中での覚醒復活」のシーンの語り手が生きたのは「神世」の時代であり、復活した「現在」は、そのずっと後の時代なのだが、(各シーンに年号的な「客観説明」がないため)そのあたりの超時間的な視点の転換に気づくには、あらかじめ読者の方に「古代史」についての一定の知識が求められるからで、普通の人は、そんなものを持ち合わせていないからである。
だから、本作を一読した読者は、古代史に詳しい人の解説的読解を参照すればいい。それはなにも、恥じたり隠したりするような事ではないのだ。

(百舌鳥・古市古墳群)

さて、このようにして「どういうお話なのか」を理解した上で、次に問題となるのは、その「文学的な価値」の方なのだが、これは雰囲気からもおおよそ伝わると思うが、要は「古代の世界観」を描いた作品、だと言って良いだろう。
古代日本の世界観は、元来のアニミズム的信仰と、氏族神話と、輸入した仏教的世界観が渾然一体となった、現代人の感覚からすれば「幻想的」としか呼びようのないようなだったのだが、そうした「古代の世界観に基づく、感覚・感性」まで再現して見せたのが、本作なのである。
そして、内容的に注目すべきは、本作は「愛した人への想いを果たせずに死んだ人間の、苦しさや切なさ」を描いているという点だ。

「身毒丸」の方は、父親から「業病的な悪血」を引き継いだ旅芸人の美少年と、その師匠との「葛藤と流浪の旅」を描いた作品だと、まとめることができるだろう。
そして、本作における「業病的な悪血」とは、「同性愛」のメタファーではないだろうか。つまり、折口信夫は「業病的な悪血を引き継いだ旅芸人の美少年」に自身を重ねた上で、その苦しみに満ちた不幸な人生を「貴種流離譚」として描いたのではなかろうか。

( 旅芸人(越後獅子))

今日であれば、「同性愛」は、一応のところ「世間公認」であり、差別など許されないと考えられているが、これはごく最近に限られた話であって、折口が生きた明治・大正・昭和の時代においては、「同性愛者」は「性的倒錯者(性的逸脱者)」であり「変態(アブノーマル)」であり「出来損ない」の「化け物」扱いにされてきた。
面と向かって侮蔑されることは少なくとも、同性愛者は、多くの人(ノーマル)たちから「陰口」され「後ろ指」を指されて、その恋心を口にすることも叶わず、「日陰者」として血の涙を流して生きたのであり、それは学者として、世間からの尊敬を集めていた折口信夫にしたところで、決して大差はなかったはずだ。

『文豪怪談傑作選 折口信夫集 神の嫁』(東雅夫編、ちくま文庫)のレビューにも書いたことだが、それが研究論文であろうと創作文芸であろうと、折口信夫の作品には、「阻害されたもの」への「同情」と「共感」と「自己投影」が根底にあると見て、間違いないだろう。
そして、そうした観点から「死者の書」や「身毒丸」を読めば、決して難解ではないし、むしろ、著者の痛切な気持ちがよく伝わる作品だとも言えるのではないだろうか。

初出:2021年3月23日「Amazonレビュー」
   (同年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年4月10日「アレクセイの花園」
  (2022年8月1日、閉鎖により閲覧不能)

 ○ ○ ○


 ○ ○ ○





 ○ ○ ○










 ○ ○ ○















 ○ ○ ○


 ○ ○ ○


この記事が参加している募集

読書感想文