足立正生監督 『REVOLUTION+1』 : カネと 宗教と イデオロギーと
映画評:足立正生監督『REVOLUTION+1』
本年(2022年)7月8日に発生した、あの「安倍晋三元首相殺害事件」の容疑者・山上徹也をモデルとした、主人公「川上哲也」の、事件までの半生を描いた、劇映画である。
つまり、ドキュメンタリーではなく、大筋の設定以外は「フィクション」と考えるべき作品だ。
上映には困難が予想されるこのような映画を、事件直後に作ったという心意気は素晴らしい。だが、本年9月27日に挙行された「国葬」前の緊急上映を意図した、最初の「未完成版」の公開では、案の定、劇場の方へ嫌がらせの電話が入るなどして、上映中止に追い込まれるケースが少なくなかった。
東京でさえ上映が中止されたのだから、当時「未完成版」の上映予定には入っていなかった大阪では、数年待たなければ上映されないのではないかと私は危ぶんだのだが、半年を経ずに「完成版」が観られたのは、たいへん喜ばしいことであった。
2019年の「愛知トリエンナーレ」における「表現の不自由展・その後」などは、かなりの嫌がらせを受けたものの、その後、大阪で「表現の不自由展かんさい」が開催されたように、ここ数年、ネトウヨの活動は、低調な印象がある。この映画の上映についても、しつこくつきまとって嫌がらせをするだけの勢いを、彼らはすでに失っているのではと、そんなふうにも感じられた。
所詮は、群れないと何もできない輩なのだから、安倍晋三も死んで、「流行」が去れば、自ずと消えていく存在に過ぎない、ということなのかも知れない。
ともあれ、そんな話題作だったので、どんなものだろうかと観に行った。
結果としては、演出的な意図もあるだろうが、主人公が独り語りのシーンが多く、低予算映画という印象は否めなかった。また、内容自体は、おおよそ「想定の範囲内」であり、特別どうということはなかったのだが、いろいろと考えさせられるところのある作品ではあったと言えよう。
私は、監督の「足立正生」という人をまったく知らなかったのだが、観に行った昨日が、たまたま大阪での上映初日であったため、監督と主演俳優らによる、上映後の舞台挨拶があった。舞台挨拶のある初日は、混んで席が選べないので、普段なら避けるのだが、日付を勘違いしていたのである。
ともあれ、その舞台挨拶で、この足立監督が、若い頃は「新左翼の活動家」で、長らく警察にマークされていた人物であることを知った。そこで帰宅後、Wikipediaを見たところ、次の通りであった。
26人もの一般人を殺害(72人に重軽傷を負わせた)した「テルアビブ空港乱射事件」で有名な「日本赤軍」の、その前身である『パレスチナ解放人民戦線のゲリラ隊に加わり共闘し』『1974年には重信房子が率いる日本赤軍に合流し、国際手配された。日本赤軍ではスポークスマンの役割を担っていたという。1997年にはレバノンで逮捕され、ルミエ刑務所で3年間の禁錮刑を受けた。2000年3月に刑期が満了し日本へ強制送還された。』人物だというのだから、足立監督は、すでに「歴史上の人物」であり、かつ、今も生きている人だと言えるだろう。
この人自身が、何人かの人を殺したのかどうかは定かではないが、ともあれ「日本赤軍」のメンバーに直接会える機会があろうとは、思ってもみなかった。
上映後の舞台挨拶で足立監督は「安倍晋三が殺されたのが残念だ。彼にはもっと生きていてもらって、この底の抜けた社会を、嫌というまで、明らかにし続けて欲しかった。安部とトランプという存在が、今の世の中がいかに腐りきっているかを、目に見えるように示してくれていたからだ」という趣旨のことを話していたが、私にはこのご意見は、すでに「歴史上の人物=過去の人」らしいそれに感じられた。
と言うのも、同時代的に、安倍晋三に苛立たされ、うんざりさせられていた者としては、安倍が殺されたのは「ひとまず、目の前からいなくなってくれて清々した」というのが、偽らざる実感だったからだ。
しかし、1960年代後半から1970年代にかけての「革命の季節」を生きた足立監督としては、今の世の中は「同時代」ではなく、すでに「批評の対象」になってしまっているのではないかと、私にはそう感じられたのである。
じっさい、現在83歳である足立監督は、ご当人の意識としても、よく生きてあと20年程だろうから、もはや「この世の中を何とかしなくては」といったような切迫感や、「どうにかできる」という感覚はなく、この先の世界の「なれの果て」を見届けようという気分の方が強いのではないだろうか。だからこそ、アイロニーではあるとしても「安倍晋三が殺されたことが残念」だなんて言えたのではなかったろうか。
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監督が新左翼活動家であったため、この映画は、どうしても左翼的なイデオロギー色が強い。
例えば、主人公の哲也は「俺は星になる。何の星になるのかはわからないけれど」といったセリフを(心内語の独白として)何度も語るのだけれど、この「星」というのは、「自殺した父親の麻雀仲間で、のちに中東に渡ってテロ事件に参加して死んだ男」のことを踏まえて言われている言葉だ。
つまり「革命の星」とかいった使い方での、夜空に輝く星々の中のひとつの「星」。死んで「星」になったというような意味での「星」である。
(※ テルアビブ空港乱射事件に参加し、唯一生き残り逮捕された岡本公三が裁判において、「われわれ3人は、死んでオリオンの3つ星になろうと考えていた。(中略)革命戦争はこれからも続くし、いろんな星がふえると思う。しかし、死んだあと、同じ天上で輝くと思えば、これも幸福である」と陳述した。引用元はこちら。2022.12.26補足)
これだけではない。独り暮らしの哲也のアパートの隣人も、たまたまだが、「父親を革命家に持つ年上の女」であったという設定になっており、それまでは部屋で一人鬱々と安倍晋三殺害計画のために模造銃(※ 改造拳銃ではない)を作っていた哲也が、その女に殺害計画の一端を漏らして「俺を止めてもらえないかと思って」と、気弱に言い訳するシーンがある。
女が、思いつめた様子の哲也に「自分を大切にしろ」と言い、またその計画を実行するつもりなら「脇が甘い」と忠告したりする。いくら独りで心理的に耐え難い状態だったからとはいって、そんな話を他人に漏らしてしまう哲也の人柄が、ナイーブすぎると感じたからだろう。「やるのなら、冷徹にやらないといけない」という感じだったのではないだろうか。
したがって、このシーンには、足立監督が、現実の山上容疑者をどう見ているかが、よく表れていると思う。
つまり「同情はするけれど、殺害の動機があまりにも個人的なものにすぎて、あまり共感はできないし、何より暗殺者としての冷徹なリアリズムが足りず、その点で少々不満」といったところなのではないだろうか。
無論、この作品は、あくまでも現実の山上容疑者を描くのではなく、彼の起こした事件を、監督がどう受け止めるか、どう受け止めたかを描いた作品だと言えるだろう。だから、主人公を、現実に即して描く必要はなく、監督自身も「資料は山ほどあったが、それをぜんぶ読んで、できるだけ忠実にといった考えはなかった。これはあくまでも映画だからだ」という趣旨のことを語っていた。
また、監督が「山上容疑者が、マザコンであったということは、ハッキリ描かなければならないと思っていた」という趣旨のことを語っていたが、これも、マッチョな「新左翼の革命闘士」的価値観からすれば、山上容疑者のそれは、自分たちとはおのずと異質な、「今どきの若者」のそれだ、という意識があったのではないだろうか。
そんなわけで、結果としては、私の予定にはなかった「舞台挨拶」の方が、むしろ面白かったと言えるかもしれない。そこには「監督と作中主人公の、あからさまには語られない距離」が表れていたからだ。
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監督や出演俳優の挨拶やコメントが終わった後、例によって、観客からの質問コーナーがあった。
この種の質問コーナーは、質問者である観客の自意識ばかりが鼻について、あまり好きではなかったのだが、本篇中で、主人公の哲也が「THE BLUE HEARTS」の曲を歌うシーン(曲名失念)について、ある青年が「自分もブルーハーツのファンです。監督は、ブルーハーツ世代ではないと思うのですが、どうしてブルーハーツを選んだのですか?」という趣旨の質問をしたのには、興味を引かれた。私も、当該シーンに、ハッとさせられ、気になっていたからだ。
この質問に対し、監督は「この曲の使用を強く推したのは、脚本に参加している井上淳一で、彼がその世代であり強く推したからで、自分としても使えると思って使った」という趣旨の返事をしていた。
これも後で調べてみると、監督と共同脚本を執筆した井上淳一は、ブルーハーツの甲本ヒロトや真島昌利の2、3歳下の「1965年」生まれで、もろに「ブルーハーツ世代だった」ということなのであろう。
私自身は、真島と同年生まれだが、若い頃は、音楽にも左翼にも、まったく興味がなかったので、ブルーハーツを知ったのは2000年代になってからでしかない。カラオケで歌うために「聞いたことのある、なかなか良い曲」として、チェックしたのである。
ただ、今の私は、ブルーハーツについての小文を草しており、楽曲ではなく、ブルーハーツという存在そのものについても、多少の知識を持っている。
ブルーハーツが、「優しさと励まし」「自由を夢見る若者」「反抗する若者」「かつての反米反帝的なもの(ユートピア指向)」を表現したバンドでありながら、最後は、メンバーの一人が「幸福の科学」に入信したことをきっかけとして解散したバンドである、といった、いささか残念な事実だ。結局のところ、ブルーハーツの歌った「若者の夢」は、現実には、「若者の夢」に止まって、「宗教による救済」の魅力には勝てなかった、ということだったのである。
で、そういう「リアリズムの目」でブルーハーツを評価すると、彼らは『1980年代後半から1990年代前半にかけて活動し1995年に解散』(Wikipedia)したのだから、決して「全共闘世代」つまり「反逆の世代」ではなく、むしろ「バブル経済の時代」の「寵児」であったことに気づかされる。
「全共闘世代」つまり「反逆の世代」が、凄惨な結末で世間を震撼とさせた「連合赤軍」による「山岳ベース事件」と、その後も続いた新左翼セクト間の「内ゲバ事件」などによって、すっかり世間の支持を失い、その運動が退潮したあと、さらに、甲本や真島、そして私などの「しらけ世代」の時代もが過ぎ去った後に訪れたのが、「夢を追う豊かな時代」「自分探しの時代」であり、その「資本主義」的な産物(夢)のひとつが、ほかならぬ「ブルーハーツ」だった、とも言えるのである。一一だから、いざとなれば「弱かったのだ」と。
そんなわけで、先の青年が、そこまでは質問してくれなかったので、私はどうしても気になって、質問することにした。
「私も、この作品でブルーハーツが使われていることを知り、気になっていることがあります。この事件は、政治と宗教の問題で取り沙汰される事件ですが、この映画では、政治性の方が強く出ていたように思います。しかし、ブルーハーツは、メンバーが幸福の科学に入信したことなんかが原因で潰れたバンドですから、そのあたりのことを、どの程度、意識して採用されたのでしょうか?」。
この質問に対し監督は「ブルーハーツのことについては、私も楽曲も含めてひと通りは知っており、そのあたりの事情も知った上で、それでも使えると思って使ったのだが、それがうまくいっているかどうかまではわからない」といった趣旨の、やや曖昧な回答であった。
つまり、共同脚本の井上が、自身の思い入れを込めて、強くブルーハーツを押し込んだのに対し、監督の方は、ブルーハーツの「最期」も含めて、それが「何らかの効果」を持つことを期待して「あえて使った」のだ、という微妙なニュアンスが感じられたのだ。
言い換えれば、ブルーハーツの楽曲の使用には、積極的で肯定的な意味合いと、消極的で否定的な意味合いの「二重性」が込められていた、ということではないだろうか。
そしてこれは、監督の山上容疑者に対する「アンビヴァレント(二律背反)」な評価や態度とも、重なるものなのではないかと思う。
要は、山上が「武器を持って、立ち上がった」ことについては、無論、高く評価する。しかし、その動機が「個人的な恨みつらみ」の域を出ず、その点で「弱い」。だから、元「新左翼革命家」の一人としては、もろ手を挙げて絶賛する気にはなれない、という気分があったのではないだろうか。
一一実際、舞台上で語る監督の態度は、この質問に答えた以外のところでは、ほとんどジョークが前面に出た、いささかアイロニカルなもののように、私には感じられたのである。
もちろん、この映画を作った足立監督としては、山上容疑者本人について、仮に「物足りない」と思っていたとしても、そんな本音を語ることなど、不可能だろう。
監督自身「映画は、どこまでも商業的なエンタメである」ということを繰り返していたし、その「営業」に差し障るような、主人公のモデルについての「否定的な評価」を自ら語るわけにはいかない立場で、そんな「観られてナンボ」である映画の制作者として、内心は「資本主義リアリズム」に巻き込まれざるを得ないところにジレンマも感じていたからこそ、その反動であり自己韜晦として、「商売」だったか「営業」だったか、とにかくそうした、いささか「自己卑下的なニュアンス」を込めて、本作を『ホームドラマ』の一種であると強調したりしたのではないか。
イデオロギーの映画だと、無条件に、真正面から語ることができなかったのではないだろうか。
そんなわけで、この映画は「老いたる革命家」が「マザコン世代に革命は可能か?」といった、自身の「悲観的な懐疑」を込めて描いた作品だと、そう評することも可能だろう。
「この映画に好意的な観客」の多くがそうであるように、単純に安倍やトランプを批判的であれば、それで良いというものではなく、それをやっている人たちも含めて、今の世界は「底が抜けてしまっている」という、ある種の「諦觀」が、この映画には、図らずもこもってしまっているように、私には感じられた。
ラストの、山上の「母胎回帰」は、結局のところ、そこにしか行き着かないという、監督の「悲観的な思い」を表していたのではないだろうか。
(2022年12月25日)
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