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1日1とーん

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書くことを忘れないためのつぶやき集
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2019年1月の記事一覧

人間的な弱味を出した方が心を開いてもらえるよ、と、言われるのだが、ある程度できる人、優等生、みたいなイメージが付きがちな自分にとっては、人に頼ることが物凄く難しい

他人の不幸は蜜の味、というし、それだけではなくて不幸な方が訴求力のある文章が書ける気がする。けれど私は、不幸自慢をするくらいなら、幸せだって平凡な日常だって、ちょっとした気付きの切り抜きをしたため続けたいなぁと思う。たとえ、自慢だとか、自意識過剰だとか、ノロケだとか揶揄されても。

黄色い声を上げる層が苦手だとか、渋谷のスクランブルに集まって騒ぐ層が苦手だとか、あるけど、それでも私なりに感受性は動かされていて、素敵だなぁと思う出来事には私なりに浸っていたいのだ。昨日の嵐の会見とか、日本代表のゴールとか。

引き際が強制的に決められるイベントは、学生が終わるとなかなか出てこないから、引き際を自分で決めて貫く姿は、いつ誰であってもなんというか凛とした尊さを感じる。もちろん「他者」からすると名残惜しいし寂しいけど。

アクセスを取るためには、全然関係のない二つを無理にでも結びつけるといいよ、と言われたことがあるが、Amazonを都合のよい恋人に例えたり、マリカを人生に例えたりするのは、私は好きではない。純粋に感じるか、その対象自体から派生して深める思考のほうが、自然で真摯で力があるな、と思う

今日は、または今月はこれを頑張る、というのが明確なときに頑張るのは得意だけれど、いろんなことを同時並行でちょっとずつ頑張るのがまだまだ苦手だ。全部100%じゃなくても頑張った自分を認めることがあってもいいのかな。

お互い「すごく楽しかったー!!!!!」って気遣いなく言える再会はすごく幸せだ。気を遣って楽しかったって言って家で疲れきってしまうことの多い人種同士だからこそ。

やれって言われた以外のことをすると怒られてたのに、そのうちやれって言われたことだけやってたら怒られるようになる。この境目って、子供の頃は怒られる/怒られないの線引きでしかなかったけど、いろんな立場や自分の所作が及ぼす影響を考えてしまういま、結構むずかしい匙加減だなと思う。

ーたとえば、僕のためといって君がついた嘘なら僕にとってそれは本当で

この一節がすごく好きで。本当も嘘も相対的なものに過ぎないけれど、それでも相手そのものは本当だと捉えようとする敬虔で夢みたいな話に現実を投影してるのかな。私自身は好きな人がついた嘘はたとえ私のためでも嘘だけど。

行けるか微妙なお誘いを受けたときに、滅多にそんなこと言わない人から、「来てほしい」って言われると、嬉しくてなんとしても行かなきゃなって思う。自分も、会いたい人にはちゃんと会いたいって言いたい。でも言い過ぎると、私が言われたときみたいな感動はないのかな。

ずっと昔っから凄かったんだろうなぁと思ってた人が、実は大学に入ってから好き、を追求した結果、私と親しくなった頃には今みたいになっていたと聞いたのが今週末いちばんの驚きと感動。私も自分をへりくだる前に、まだまだやることはあるのかもしれない。

まわりが自分の幸せを喜んでくれるの、本当に幸せだなと思う日々が続いていて、友達多いほうじゃないし家に引き籠る時間がないとダメな人種だけど、それでも、今ある人とのつながりは大切にしていきたいと思う夜。月並みな言葉でしか表現できないのがもどかしいなぁ。

仕事を理由に遅刻する人は仕事できないって聞いたことあるし、そんな人には絶対なりたくないと思ってたけど、どうしたって仕事は降ってくるときはあるんだ、ごめんと仕方ないの板挟みになるんだけど、このやるせなさはどこにぶつければいいのか(ごめん)

なにもしない、を楽しめる人になりたい。予定を詰め込まずに、なんとなくなにかに向き合う時間が、自分を回復させてくれる側の人種であることに、やっと気づいた。